13 光の系譜

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大正8年6月8日に生まれた人間で御座います。実は現在は、こういうお仕事でございますね。
心=光
こういうお仕事を始めまして、丁度、満十年で御座います。
正確に申しますと、色々な事が人生で重なって参りまして、自分に降りかかって参ります。
で、色々と積み重ねの上で止むにやまれない気持ちでですね、原稿用紙を、今まで、本も書いた事が無い人間が、買って参りまして、「ノアの箱船」という御本を書き始めましたのが、忘れもいたしません。本当に今から丁度10年前の事。5月1日の事で御座いました。

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そして、約10日間で一気に「ノアの箱船 I」を書き上げました。さらに「ノアの箱船II」も、直ぐに着手いたします。で、御本にも書いておきましたように、第7部まで書くつもりでいるんですが、第2部を書いているうちに、あそこに全文引用して御座いますが、旧約聖書の第6章~9章までを読んでいるうちに、なんとなく、その、勢いで書いている文章を、書いていくのは、自分自体で、疎ましくなって参りました。そして、7冊くらいの「ノアの箱船」というシリーズを書くつもりでおりましたのは、もう、うまい具合に段々段々切り上げまして、第3部で一応、中間的な完結にしてしまった。という事は、もう御本をお読みの方は、懸命な皆さんは、大方、見抜いていらっしゃると思います。

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で、その原稿用紙を書きますとね、そういうものを本にしてくださる、変わった出版社なんて、ある訳が無いですから、仕方がありませんから、ノアという会社を設立というと感じがいいんですけれども、本屋さんに行きまして、「株式会社の作り方」という本を買って参りまして、私は経済の事とか存じない訳ですが、その本に書いてある通りにやってみたら、出来てしまいました。出来まして、その、法務局から、法人としての登録が下りてきましたのは、7月11日の事で御座いました。

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で、丁度、来月の11日がノアという、ちっぽけな会社の10周年記念に当たる訳で御座いまして、私自体も大変緊張しております。と申しますのは、設立したのは昭和52年で御座いますけれども、私共が、こういう仕事を始めるようになります動機付けというのが、T先生という方がいらっしゃいまして、今から、これも、10年前に、11年になりますね、亡くなられた訳ですね。それが昭和51年6月25日ですね。もう少しで今月、11年忌が巡ってくる訳で御座いますが、その6月25日に亡くなられまして、その翌月の実は7月10日、青山の葬儀場というところで、お弔いをしました。そうしまして、7月11日が、翌年の7月11日が、その時は気が付いていないのですが、ずっと後になって、おかしいな?と思って気が付き始めるんですね。

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7月11日にノアという出版社を作りまして。で、それから段々段々、企画が立ちまして、それから一挙に時間が53年から59年でございますか?丁度6年ですね?6年経過いたしました8月の事。今、こちらにいらっしゃいます、神戸というところに初めて参りました。で、その時にお参りいたしました、湊川神社って、この会場にいらっしゃる方も、お参りになった方もいらっしゃる。また、昨日、お参りになった方、今日になってからお参りになった方もいらっしゃる、何人かいらっしゃる訳で御座いますが、そこの嗚呼忠臣楠子の墓というですね、お墓の前にあるます献花筒、こういうのがお墓の前に二本立っていますね?これは、昭和34年7月12日、7月12日ですね?そして、この日付、これは、もう、お解りの通り「617」、すなわち、「創世記」、「ものの始まり」という事を意味するエネルギーのように、もう私は理解しておりますけれども、それを、国光様がご覧になられた時に、本当に、これは光という世界を心からお解りになっていただいたと伺っております。
そうすると、皆様の人生の中で、色々なものが、何も光ばかりじゃなくて、数というものや何かが、続けて現れるとか、それはやはり、「循環の理」というものを一つ早く理解してください。

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悟ってくださいというですね、現れと思っていただいて間違い無い訳でございますね。
現に昨日から今日にかけても、色々な方とお目にかかって、色々なお話を伺っている訳ですが、
そのお話の中にも色々なお話が。あのご本人はですね、意識していなくて、そういうお話をなさっている方が何人もいらっしゃるのでしょうね。そして、それは今度は、ご自分の口から出てくるという事は、やはりご自分の潜在意識は色々な事を知っていて、それを表面意識で伝えて、いつの間にか、それを自分の日常を通して現れてくるんだと思っていただければ結構でございます。
そういたしまして、それは元来、9課目になる予定でございましたけれども、
それをお話いたしますと、もう勉強なさった方もいらっしゃるので、これは一回遅れるような、
進むような具合になるかもしれませんので、今日は一つ、皆様とこうやって、ここからご参照いただいたのを、記念してって言ったらアレですが、少し今までの御勉強の角度を、みんなわかりきった事を一つ整理して参りますね。

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あえて、何て言いますか、
光の系譜
とでも名付けましょうか?
要するに私達は今、非常に簡単な自分の生年月日、あと生年月日ばかりじゃなくて、その日付というものからですね、色々な事が解りだしました。そして、色々な事が解りだしたという事が、ただ解っているばかりではなくて、色々と世界中の色々なご家庭の調和、またご家庭の調和という事は、そのご家庭を構成しておられます、個人個人の調和という事に役立ってきております。本当に、ここにご参集の皆様も、そういう体験をなさっている、ほんの一部の方でございます。そして、その一部の方が色々な意味で、その光の世界を代表して、ここにお集まりいただいたと。そうしますと、やはり私共は、単純明快で矛盾のないですね、光というものに触れてくる、一つの歴史と申しますか、そういうものを、ここで改めて、振り返ってみるという事は決して無意味ではないと存じております。

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で、それをあえて言うと、これからお話することなんて、まるで、まやかしじゃないかと、思われるようなお話も出てくるかもしれませんけど、しかし、私にとっては、止むにやまれなく、そういうものを積み上げて、こういうところに光という論理を解明してきたのだと。そして、その論理を通して、皆様、幼稚園生の昔に戻った気持ちでポンとやっていきますとね、先程も、この下のロビーでお話していたのですが、いつもお話しております風船玉の理で、この心というものが、光の風船玉を今度は膨らましていきますと、そこに巧まずして、特に肩肘いからさずにですね、調和という事が起こって参ります。

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そうしますと、この光というものが我々、大げさな表現をすると、人類というものが到達するまでには、到達するだけの歴史というものが、ある訳でございますね。で、これは例えば、ここにいらっしゃる方、全部、違う時に違う場所で、違うご両親を持って、御生れになってきた方です。それは光文にありますように、この物質の世界、我々が所属している物質の世界は、それが約束事で御座いますね。
しかし、光の世界では、そんな約束事は御座いません。皆んな同じです。皆んな一つの光から出ている、皆んな兄弟です。上も下も御座いません。それが光の世界の基本的な論理で御座いますね。
で、この論理に抵抗した、逆のことをやったら、この物質の世界で、不調和という現象で現れているだけの事で御座います。

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なんだ、そんな簡単な事だったら、と思われるかもしれませんが、今、この窓の外を見ますと、淀みなくずっと、車が道路を流れております。あれは何故、淀みなく流れているかというと、GOSTOP行きますとね、{黄、赤、青}の、たった、この簡単な交通信号を守っているから、淀みなく動いているだけですね。
だから、それを知らなかったら、混乱する。そうすると、私共の毎日毎日の人生というのは、それと似通った事を、どうもやっている可能性がある。と、ある意味で言ったら私も、それまで散々、色々な事を、その後も色々とギクシャクはするんですけれども、曲がりなりにも交通信号の読み方が解ってきた。
そして、光の世界の約束では自分が他人様より一秒先に解ったら一秒後に解っていない方に、どんどん伝えていく、これがルールですから、それを実行してきただけで御座います。

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まず、光の世界で、光というものの存在を知らなくちゃいけないという、我々、人間は、まず、事をしなくちゃいけないですね。光というものの存在を。全ての事が光だという。そうしますと、また、会場の皆様も人生の色々な中でですね、私は般若心経写経を一万回やったと、法華経を盛んに読んだと、それから、浄土真宗のお寺をお参りしたとか、西国三十三箇所に行ったとか、または、教会に行ったとか、いろ色々な事で心の世界に入ってきたとか、色々御座います。それから、また、例えば精神世界で、特に宗教的な教祖様、大先生は、必ず、心といえば光、光、光、色々なところに出ております。だから、こう、なんか、何処かから上がってきたらしいという感じだけは私は持っておりましたね。それを、ずっと辿っていきますと、もう、それ以上には辿れないところが一つ出てくる。その、それ以上辿れないところは、何処かというと、あんまり昔じゃないですね。但し、紀元より前で御座いますね。それは、何時頃かと言いますと、だいたい紀元前1500年~1600年くらい前の時代を、まず、思ってみていただければいいんです。但し、お気づきだと思いますけれども、今から1500年前と言いますと、旧約聖書に、創世記の次に出て参ります、出エジプト記の主役であるモーゼという方が、まだ生まれていない時代です。

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実はモーセという方が出現する約200年くらい前を理解していただきたければ結構です。そして、モーセが生まれていない時代ですから、この日本の国で、すぐ宗教的な事というとお釈迦様というお名前が出てきますが、お釈迦様は、そこから1000年も下った時代の方です。だから、今の時点から言ったら、今から1000年前というと、源頼朝が鎌倉に幕府を開設した時より、さらに200年くらい前だと思っていただければ結構です。よろしいですか?それから、今度は、イエス様の時代ですね。ヨーロッパ、特にヨーロッパ系の方だと宗教というとキリスト教と言われる。そうすると、そのイエス様という方は、それから、さらに1500年も下った時代の方である。そして、よくよく考えてみますと、イエス様という方も神と人間との関係をお説きになった方ですね。神の国。立派な方でいらっしゃいますけれども、それでは、その、光というものの在り方を、きちっとお残しになっているかというと、聖書をいくらひっくり返してみても、言葉は出てくるけれども、そういう事をお説きになっているようには見受けられません。

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それでは先程のお話に出て参りました、お釈迦様の教えというものは、非常に美しい、また、荘重な言葉で、繰り広げられておりますけれども、光そのものに焦点を当てた教えだとは、ちょっと考えられない。但し、非常に沢山のヒントを言葉で残していらっしゃるという事だけは否定する事が出来ません。
これは段々と整理して参りましょう。さあ、そこで、ずっと歴史を辿っていって、紀元前1500年くらい前には、この地球上では、どんな事が行われていたかというと、地球上で、だいたい、文化の中心になってくるのは、皆様、よくご存知の、非常に展覧会が何回も行われましたですね。東京でね。エジプトという国で御座います。じゃあ、エジプトという国の一つの精神世界は色々と現代人にとっても興味深いもので御座いますね。

00:16:41~00:17:45
その興味は私共が持っているばかりじゃなく、例えば皇族の方もお持ちのようであります。秩父宮崇仁親王(三笠宮崇仁親王)という方が今年の3月ですね、3月というのはNHKの市民大学の端境期になるものですから、あそこに特別講座が挿入されます。今年挿入された講座は秩父宮のですね、エジプトの神々というテーマで御座いますね。これはテキストブックが売られていない特別講座で御座います。そして、私も全部一貫してお聴きしていたんじゃないんですけれども、偶々、自宅で拝聴している時に、丁度、これからお話するところにお触れになりました。但し、私、大変、期待してですね、伺っていたのですが、まず、エジプトの第一王朝から、段々と、所謂、自然信仰とか、動物の信仰とか、色々とお話くださったんですけれども、この中でもお聴きになった方、いらっしゃると思うんですね。

00:17:45~00:19:06
ところが、段々、時代が下ってまいりまして、第18王朝、この第18王朝というのは色々な意味で画期的で御座いまして、エジプトというのは約4000年の歴史を持つ訳で御座いますが、この後も、ずっと王朝が続いてですね、最後にプトレマイオスという王朝の最後の王様ですね、15世か、16世にあたる方ですか、その方のお母様にあたる方が何方でも知っているクレオパトラという方で御座います。で、この王朝を最後にして、所謂、エジプトの王朝時代は終わる訳です。そのクレオパトラが活躍した時代よりも、約1500年くらい前に遡りますと、第18番目ですね。プトレマイオス王朝というのは、だいたい35番目くらいの王朝で御座いますね。そして、この18王朝に色々な立派な王様が出る。立派な王様が出まして、トトメスという王様が出てくるのですが、歴史家はエジプトのナポレオンという呼び名をつけているんですね。

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その興味は私共が持っているばかりじゃなく、例えば皇族の方もお持ちのようであります。秩父宮崇仁親王(三笠宮崇仁親王)という方が今年の3月ですね、3月というのはNHKの市民大学の端境期になるものですから、あそこに特別講座が挿入されます。今年挿入された講座は秩父宮のですね、エジプトの神々というテーマで御座いますね。これはテキストブックが売られていない特別講座で御座います。そして、私も全部一貫してお聴きしていたんじゃないんですけれども、偶々、自宅で拝聴している時に、丁度、これからお話するところにお触れになりました。但し、私、大変、期待してですね、伺っていたのですが、まず、エジプトの第一王朝から、段々と、所謂、自然信仰とか、動物の信仰とか、色々とお話くださったんですけれども、この中でもお聴きになった方、いらっしゃると思うんですね。

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ところが、段々、時代が下ってまいりまして、第18王朝、この第18王朝というのは色々な意味で画期的で御座いまして、エジプトというのは約4000年の歴史を持つ訳で御座いますが、この後も、ずっと王朝が続いてですね、最後にプトレマイオスという王朝の最後の王様ですね、15世か、16世にあたる方ですか、その方のお母様にあたる方が何方でも知っているクレオパトラという方で御座います。で、この王朝を最後にして、所謂、エジプトの王朝時代は終わる訳です。そのクレオパトラが活躍した時代よりも、約1500年くらい前に遡りますと、第18番目ですね。プトレマイオス王朝というのは、だいたい35番目くらいの王朝で御座いますね。そして、この18王朝に色々な立派な王様が出る。立派な王様が出まして、トトメスという王様が出てくるのですが、歴史家はエジプトのナポレオンという呼び名をつけているんですね。

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何故かというとエジプトという国は、この方の時に国力が充実いたしまして、芸術、文化、その他、非常に充実する。国力が充実するという事は非常に軍隊も強くなるという事でエジプトの版図が非常に広がっていくんです。その頃、世界と言われた、世界という概念は時代時代によって違いますね?例えば地中海に住んでいた方は今から2000年前は地中海の沿岸全部を持って世界と思っていました。で、その頃、世界と思われていた内の80パーセントくらいエジプトが領有していた。例えばお隣の中国の例でいけばチンギス・ハーンという方が非常に史上で一番大きな国を作りましたね?それに丁度、相当するものだと思っていただければ結構です。

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そうしますと、それから何代か経まして、アメンホテプという王様が現れた。これは第4世までですね。アメンホテプというと、あんまり聞きなれない王様だなってお感じになるかもしれませんが、ツタンカーメンというとね、知らない方、無いくらいですね。日本でも何回か展覧会が繰り返されていますね。ただし、この方、ツタンカーメンじゃないんですよ。アメンホテプ4世という方の、ある意味で弟、ある意味で息子、それがツタンカーメンという方ですね。で、19歳で亡くなってしまいます。そして、只今のお話のテーマになっている方はアメンホテプ4世という方です。

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で、この方が出現するまで、エジプトもさることながら、人類というものは、ある意味で言ったら、色々なものを信仰し、それを神と崇めていた生活を長く長くしている、そこのところは秩父宮殿下が詳しく、五日間も時間をかけて、今年、ご講演くださっています。ところが、では、この方は、どういう事をなさったかというと、それまでの信仰をですね、全部、否定した方なのです。で、それが、今の時代でも大変な事なのですが、今から3500年前に、それをやった方なのです。但し、あまりにも時代を、3500年も時代を先取りしていた為に、この方の所謂、説かれた一つの宗教と申しますか、精神世界は、その時代の人達には理解されませんでした。

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だから、これも不思議な数字なのですが、たった19年という間だけ、この方の意志として通されている。じゃあ、この方は、どういう事を説いたかというと、「全て光」という事を説かれたのです。
但し、心の世界の光というところまで至ったかどうか?知りませんが、太陽というものを象徴しましてね、説かれた訳です。但し、この方が充分、心の世界の光も感知し得ているという、私から言わせれば証拠が色々と御座います。まず、その一つの証拠として、挙げられますのは、このアメンホテプ4世という方が出るまでのエジプトの文学とか芸術というものは全部、王者の為の文化ですね。だから、必ず、皆様も美術全集とかでご覧になっていただけるとわかりますが、この方の以前の方も、この方の後の方も、ものすごく荘厳な厳めしい王者の形で描写されております。だが、この方はですね、一種の、病名はちょっとわからないんですけれども、お腹が肥満してしまう非常に頭が手水頭、非常にある意味で言ったら不恰好な方なんです。ところが、それが、この方の自然な在り方で御座いますね。

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だから現実には自然に、それが、レリーフの形で描写されております。それから、この王様の出現までにはですね、王族の家庭というものがエジプトの芸術の中には、この前も後も出てこないんです。この方の時だけ初めてご一家がですね、出てくる。これは、色々な美術全書の中にも図版として残っておりますから、それを一つ、ご覧になってください。そして、今度は芯から光というものを認めていらっしゃったのは、この方の太陽賛歌、アトン賛歌という詩が残っております。ところが、こういう詩を、すぐ我々が読めるようになったかというと、そうじゃなくてですね、実は、この後の王様、その後の王朝が、この方の作った、テル・エル・アマルナというところに、アトン神という光の神殿をお造りになるんですけれども、これはめっちゃくちゃに壊されちゃう。それでは、何故、そういう詩の存在だとかレリーフの存在だとかが我々の何かの形で知る事が出来るかというと、これを可能にしたものが、コンピュータなんですね。

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コンピュータで全部、サインをつけまして、それを復元しました。これは戦後行われた考古学の一つの事業で御座います。そして、どちらかというと歴史家とか考古学者は、そちらの方に皆、目が向いていますね、そういう事で見出された。でも、私は、そういう事にも関心は御座いますが、一番、我々にとって、重大に関心を持たなくちゃいけないのは、この方が地上で初めて「光」という事を真剣にお説きになった方であって、しかも残念な事に、この方の後には誰も続かなかったという事、3500年。ですから、歴史上、色々な宗教家、偉大な宗教家がおります。しかも、歴史家は色々な意味でボロクソに草している方もいるんです。色々な歴史的な事実が御座いまして。でも、そんな事は問題じゃないと思うんです。この事で人類で光という事に初めて気付く、しかも敢然として初めてお説きになった。それを実行なさった。それだけで、私は充分だと思っている人間で御座います。

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これがあるが為に今、私もこういう事が出来るのではないかとまで思っている次第でございます。ですから、この頃は色々な歴史書が整備されてきまして、この方の事績とかは皆様がお勉強する気になれば、幾らでも出来ますから、そういう機会でお勉強していただければ、大変ありがたいと思っております。先程のアトン賛歌という太陽賛歌という詩もですね、沢山の考古学者がおりますが、外国の考古学者で一番尊敬している方がございます。それはアメリカの方でブレステッドという方です。この方が初めて、アトン賛歌というものの内容は旧約聖書の詩篇の第104と同じものであると気が付いた偉大な方です。

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そこの一節だけ、今日、丁度、持って参りましたから、そこだけお読みしましょうね。昨日も読んでいましたから、忘れてきたようです。失礼いたしました。詩篇の104ですから皆様、後で、お読みになってみてください。そうしましたら、そこに書かれている言葉はですね、「主」とか「神」という言葉を「光」という言葉に書き換えますと、「光」の素晴らしさ、「光」のあり方を生々しく訴えている賛歌であることがお解りになります。ブレステッドという方が非常に素晴らしい考古学者だと私、存じております。

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で、色々なお話に展開いたしますけれども、この、よくですね、一番最初に「光」を御勉強なさる方は、まず、「潜在能力点火法」という日本文と英文で書いてある本を読んでですね、そして「光」の調和法を実践していただく。そうすると「光」が見えてきますと、「潜在能力点火法369編」をお読みください。で、あと、どうやって読むんですか?と、いうと、あと、「ひかりのかるた」というのを憶えてくださいとお願いしております。で、それを読まれたら、今度は「道しるべ」という御本をお読みになりまして、そうして、それから「潜在能力点火法 開門編」、それから「理論編」とお読みくださります。もう、「光」の事は、それで良いんですね。そうすると、こういう不思議な論理に、どうやって到達していったのか?という疑問をお持ちになる方が沢山いらっしゃいますね?

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で、その為に、いまだに絶版にせずに残してあるのが「ノアの箱船」という本で御座いまして、角度を変えて申し上げますと、「ノアの箱船」という本が、ある意味で言ったら、言葉だけの時代、そして、「道しるべ」という本が、今度は、言葉と光の接点。そして、「潜在能力点火法 開門編」「潜在能力点火法 理論編」、そして「点火法」そのもの「369編」というのが「光」そのものの本である、と言える訳で御座いますが、その「かるた」の、「い」に「いちばんはじめは、正しく見る」というんじゃないですか?そうでしょう?。そして、確か、こういう絵札だったという事ですよね?

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そして、正しく見るというのは、皆様もご存知の通り、お釈迦様のお残しになりました、八正道。正しく見る、正しく思う、正しく語る、正しく仕事をする、正しく生活する、正しく道に精進する、正しく念ずる、正しく定にいる、すなわち、正しく反省する、という事です。で、この順序も非常に大切なんだという事を、私、常に強調しておりますが、このお話も、その一つです。

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そして、話が色々と飛びますけれども、「光の系統図」ですね。ここに水源池が御座いますと、これはエゼキエル書に御座います「神の幻」を展開しても同じ事ですが、この水源池がありますと、ここに皆様、いらっしゃいますね?いらっしゃいますと、これは、どのように繋がっているか?実は、これ、こうなっているんですね。ここ、パイプが2本ある。それで、どうしてパイプが2本あるんだろうか?と思われる方がいるかもしれませんけれども、これ、やっぱり、光って解っていくのに、この現実の世界が一つ土台になっている証拠なんです。そして、また2本であったという事は益々、確信を深くしているんですが。これは光の世界からの光ですね?そうすると、私共は今度は、こっちからの光は何処から受けているか?よく考えてみますと、皆様の二つの眼から受けている訳ですね?この物質の世界の光というのは。


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しかも、例えば、現在、日本で仏教というものは色々と宗派が違いますでしょう?宗派によって経典が違ってきます。例えば日蓮宗というところは法華経。浄土真宗というところは大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経という3つの経典があります。私も父が愛知県の浄土真宗の出なものですから、何となく小さい時からお経の名前は知っておりました。それから、だいたいどんな事が書いてあるかとういう事も知っておりました。ところが先程、一度だけ出てまいりました、高橋信次先生という方が、大変、不思議なご講演をなさっている。それは、阿弥陀経というお経にですね、韋提希という王妃が出て参ります。女王様。その旦那様が頻婆娑羅という方です。その王様の息子に阿闍世という王子がいて、大変、親不孝で、そして、両親を虐待して牢屋に入れちゃう。ここまでは実はお経に書いてある。

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何というお経に書いてあるかというと阿弥陀経というお経に書いてあるんじゃないんですね。それは観無量寿経というお経に書いてあります。369編という御本に書いてあります。ところが、このお釈迦様が、その韋提希夫人という方が牢屋で苦しんでいると、そこに行って、”お前、そこで悲しまなくてもいい。この西方極楽浄土。極楽浄土というと、インドという国から西の方に行くと、先程、お話しているエジプトというところがあります。そこに元来、慈悲とか愛とか説いたアモンという方がいるんだと。だから、その人を心から念じなさいと。その心から念ずる方法を教えてあげると、それは、”ナモ"、ナモというのは自分が心から帰依する訳ですね。”ナモアミダボ”、即ち、日本の言葉で言うと、南無阿弥陀仏という。

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これ大変不思議なお話だと思うんです。約1000年の、そこに時間的な隔たりがあって、キリスト教でお祈りをするときにアーメンというのは、ここから出てきたんだという事を何回伺ったか実は知らないです。ここにいらっしゃる方も伺ったはずです。何人もいらっしゃる。私、これ、大変、不思議な事だと思ったんだよね。要するにどこか一つだけ、ちょっと間違えて、そこに人間の意識を集中させるという仕掛けが、この中に感じられるような感じがいたします。何故かというと、その観無量寿経にはナムアミダボという事も書いてあるかもしれませんけれども、一番大切な事は、そこに心の調和法が書いてある。確か13通り書いてある。ところが13通りのうちの第五番目から使いものにならないんです。どうして使いものにならないかというと、単純、明快、矛盾なく考えますとね、例えば、この中で観音様にあった方、いらっしゃいますか?いらっしゃらないでしょう?阿弥陀様にあった事のある方もいらっしゃらない。
という事はですよ、皆様が会ったこともないものを心に描けと言われたらどうします?描ける事が出来ないんです。思う事も出来ないんです。名前は知っていますね?名前は知っているけれども実は描けない。

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だから五番目以降は使いものにならないんですね。そうすると一番目の調和法は何かというと、日没の時の夕日を丸い太鼓を見るように思いなさい、と書いてある。したら、それは現実に見る。そうしますと、潜在能力点火法の緑の方の調和法のところに初観、日想と書いてあるのはその為です。太陽を見て悟るる。そして、第二番目に黄色の方の悟り方が書いてある。これは水の面を見なさい。ですから、水想。第三番目は黄色い土地を思いなさい、だから、地想、青の方のですね。第4観、緑の木を観て思いなさい、樹想です。


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そして、これだけじゃ、なかなか光が見えるようにならないんですね。何故かというと、お解りですね?光が入ってくる門と出て行く所、開けるところを単に見送っている、それが今、皆さんが、例えば、西田さんがお手元に持っていらっしゃる「潜在能力点火法」という本に書いてある調和法です。しかも、そういうところから持って来たんですよという事が確か御本に書いてあります。そうすると、だんだんと光の系譜というのが少しずつ明らかになってまいりました。

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そして、唐前に唐なく唐後に唐無し。その唐の時代に第二代目の太宗という皇帝の時ですね。天文台長を勤めていた方がいらっしゃいます。当時の天文台というのは大天文台ですから一人の台長だけでは間に合いませんので、二人の台長、袁天罡という方と李淳風という方ですね。そういたしまして、この方達が、起こして行った、その論文と言いますかね、予言書というのですね、推背図という御本になっている。


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そして、唐前に唐なく唐後に唐無し。その唐の時代に第二代目の太宗という皇帝の時ですね。天文台長を勤めていた方がいらっしゃいます。当時の天文台というのは大天文台ですから一人の台長だけでは間に合いませんので、二人の台長、袁天罡という方と李淳風という方ですね。そういたしまして、この方達が、起こして行った、その論文と言いますかね、予言書というのですね、推背図という御本になっている。

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ですから、この光の存在という事を誰かが私ども人類というのは気が付かなければいけなかった訳ですね。そこにアメンホテプという方の存在価値というのが非常に強く現れてくる訳で御座います。
それで今度は、そういう事で段々と、たった10年前、一番最初は、こういう事は全然わからなくて最初は八正道とかですね、反省の仕方どうしたら良いか?とか、という事で始まった訳で御座いますけれども、昭和52年ですね。そして、昭和53年という時代に入りますと、あちこち、この間、実は、こういう事を始めたのは忘れもしません、昭和53年2月20日、青山というところですね。

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「道しるべ」という御本に御座いますけれども、本城画廊、H画廊と書いてございますが、本城画廊というところで始まった訳です。ところが先月、久しぶりに久しぶりにお会いいたしましたら、もう、この本城さんは70を過ぎまして、お歳を召していらっしゃいまして、そこで72課、その当時は毎月やっていたんですが勉強会を、それのテープが全部撮ってあったんですね、そこには。これは大変ありがたい事だと思いますが、これを差し上げます、いただいていって、その第一課をこの間、聞いてみたんです。びっくりいたしましてね、今、やっている事と同じ事をちゃんと言っているんですね。10年前も。但し光の計算法とか光というのは、光という言葉が出てくるだけで、どうしても具体化出来ない。

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で、約一年間、苦しんで、一生懸命、言葉というものを追求していく訳です。八正道とかですね、中道とか。それが御本に書いてあります通り、中道というのは246だとか色々と解って。そして、昭和54年の1月20日、それまでに考え抜いて考え抜いていたから、解ってきたんだと思うんですが、1月20日の午前3時にですね、ベットの中で考えているうちに一人目の計算法が、ふっと頭の中に浮かんで参りまして、試みに、まず、自分を計算してみる、私は257という人間で、あ~なるほどな。家内は819という光です。なるほど、うちの家内はさっぱり訳のわからない事を言っているなと、やっぱり、それは当たり前だと、その時に初めて解ってくる訳ですね。そうすると、それから直ぐに、あと5人分ですね、ここにいらっしゃる方は、だいたいご勉強なさっていますから、話は解っていただけると思っていますので、安心して話しておりますが、あとの五人分が直ぐに解ったかというと、そうじゃないですね。
それから一年半もかかっている。もう家を出る時に皆さんがお持ちの大学ノートを二つ持って、家に帰ってくると真っ黒になったのを憶えています。


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そして、その翌年の昭和55年、今から7年前です。5月19日ですね。今日も盛岡からお一人いらっしゃっていますが、盛岡というところから仙台というところに行く初雁という特急列車の上で解りましてね、解った途端に、もう、その次に伺ったところに行って、もう、それを直ぐ、活用して、その御宅の調和というのに役立たせていただきました。そして、段々、段々と推背というのが解って参りますと、実は半年くらいかかっていくんですが、そして、あちらこちら、日本中ですね、この通りにやると、非常に、例えば、今から1300年前に弘法大師空海という方が、室戸岬の洞窟の中で体験した。また近い歴史の中で言いますと、1968年~72年まで、アメリカがアポロ計画という宇宙船をね。そうすると43人の宇宙飛行士のうち41人、二人だけの例外を除いて皆んな光が見える。そこら辺の物語は立花隆先生という方が「宇宙からの帰還」という御本で一冊まとめて、これも不思議なんですね、112ページを中心とした付近のところに、細かく書いて御座いますから、何かの時にお読みいただければ大変ありがたいです。

00:52:53~00:54:20
で、そういう事、こういう事を繋いで参りまして、段々と非常に単純明快に、この弘法大師や、宇宙飛行士が自分のものになさった光の調和法というのは、段々段々と誰でも手を伸ばして行おうと思えば、行える、所謂、射程距離というよりも射程じゃない、手を伸ばして届くところの調和法になって参りました。なって参りまして色々な事が解ってくる訳ですけれども、その、また解ってくる時に、私が既に、ここに書きました、これが常に念頭に御座います。(目の絵) 何故、これが常に念頭にあったかというと、目というものから我々の肉体は光を全部、受容しております。但し、先程申し上げました、実はアメンホテプという方のですね、奥さん、女王様、これは人間が歴史を持った過去でですね、世界で一番美しい方です。と評価されているからです。

00:54:20~00:55:05
美術史上から言っても歴史上から言っても。この方は、これは大変不思議なお名前ですが、ネフェルティティと言います。外つ国から来た美女という意味です。やって来た美女とか、言われていますね。これは何故かというと、これは歴史上ではっきり解明されていなくて、色々な説があるんですが、一番ポピュラーな説はエジプトから、ずっと、今もですね、イランとかイラクの辺ですね。あの辺はミタンニと言ったんですね、昔は。そこから輿入れして来た来た王女様だというようになっているようであります。

00:55:05~00:56:07
で、この方は実は光の教えというものはエジプトの地に広がっていった一番。アメンホテプという方が始めたのですが、この方が実に夫婦調和して熱烈に広めていったという事実がある。そして、私は、この光というものは、家庭の調和、ご夫婦の調和という事から考えてきたものですから、これもまた納得行くんですね。ある意味で言ったらイエス様はご夫婦でキリスト教を説かれたと言ったら誰も思っていらっしゃらないでしょう?イエス様という方は実は奥様を持った事が無いからです。だから、自分の体験しない事を説ける方って勇気があるなと私、思うくらいであります。お釈迦様は、どういう方かというと、ご自分の奥様をお家に置いてけぼりにして、そして、置いてけぼりの仕方というのは、ある意味では解りやすくお説きになったかもしれませんね。

00:56:07~00:56:50
だから、その後から家出をする人が沢山出てくる。で、家出というと格好が悪いから、それ、アルファとオメガ、逆転しまして、出家と称するんですね。そうすると、これ、成る程なあと思って、これも納得するんですね。そうして、光が解ってくると出家できなくなっちゃう。必ず、そういう事になるのではないかと思います。で、この方は非常に美しい方であったと共に、光というものを、むしろ、実に、この19年という期間、光の教えが続いたのは、この方が存在したからだというふうにブレステッドという方は評価なさっている位です。


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大変立派な方です。ある意味、過去の女性の中で一番尊敬しています。それでは、この方は、どんなヒントを我々に残していってくれたかというと、美しい方ですから、この方の為のレリーフだとか彫像というものが沢山ではありませんが幾つか残っています。そして先ほどの発掘。実はドイツの発掘隊やフランスの発掘隊が現在はドイツの考古学というのは大変進んでおりますけれどもドイツの考古学者がエジプトに行って発掘しようとすると、エジプト政府は絶対に許可を降ろさないんです。例えば最近ですと日本の発掘隊が、ちゃんと行って発掘していますね。早稲田の調査隊ですね。日本では早稲田大学が古代の遺跡を発掘する実績があります。ところがドイツは絶対許可しない。何故、許可しないかと言いますと、これは今から七十年以上前に時代が遡って1912年、だいぶ昔の事になります。

00:58:29~01:00:02
1912年にどういう事があったかと言いますと、ドイツの発掘隊が参りまして、何処を発掘していたかというと、実は、このアメンホテプという方が生活を営んでいた宮殿があります。作られた神殿の跡とか。そういうところを、ずっと発掘されていた訳です。ところが発掘されていたんですけれども、そこで、実は、ここに書きました、ネフェルティティという方の胸から上の胸像が発掘されたんです。これは実は今、世界中の色々な美術全集のエジプトの分は必ず出て参ります。この発掘像がですね。
で、この発掘した方はボルヒャルトという方です。これも立派な考古学者なのですが、ちょっと感心しない事をやってしまうんですね。だから、なかなか人間世界って、微妙に出来ているなという感じがいたします。この方は考古学も詳しいし美術的な鑑識眼もある。

01:00:02~01:01:11
実は、どういうところを発掘していて、このネフェルティティという絶世の美人、また光を広げた方の胸像は見つかったかというと、昔はお抱えのですね、宮廷のお抱えの画家とか、彫刻家ですね。その中に先程、ちょっと出て来ました、アメンホテプのご先祖様になるトトメスという方ですね。エジプトのナポレオンと言われている。その王様と同じ名前の当時、宮廷彫刻家がいたようですね。トトメスという方です。その方のアトリエですね。アトリエを発掘した。アトリエというのはですね、色々な彫像が残っている訳です。その残っている一つに、このネフェルティティという方の胸像が現れて来た。極彩色です。実際には石膏癌に石膏を塗しまして掘ったもののようでございますが、これは世界の芸術品のうちで最高峰に位するものです。


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今、それは何処にあるかというと、西ベルリンの博物館にございます。西ベルリンの博物館にそんな大切なものがあるのに、ドイツの調査隊が、何故、エジプトに発掘に願い出ても、というより、願い出るという事をしません。許可にならないのが自明の理ですから。何故かと言いますと、このボルヒャルトという方が発掘しまして、そのあまりの美しさに驚いてしまう。びっくりしますと、今でもそうですし、当時もそうですね。必ず、発掘いたしました、その頃は、まだエジプトは王政をしいておりまして、今、共和国になっておりますね。その頃はファールークという王様が統治していた時代です。戦前の事ですが、1912年です。発掘いたしましたらですね、必ず考古局というのがございまして、そこの監査を受けて、これは持ち出しても良いという許可の降りるリストにちゃんとサインしてもらったものだけしか、国内に持ち出せないんです。

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だから第1級の芸術品は発掘いたしますと必ずエジプト国内にとどめ置かれちゃうんです。で、カイロの博物館、そういうところに置かれるんです。ところが、この方はですね、一つの知恵を働かせましてね、ガラクタと一緒に埃まみれのままで検査を。そうすると、これ、いらないなという事で、サインして渡してしまった。で、渡しちゃって、その時は何とも思わないんですね。ところが、それが巡り巡って、何処に行ったかというと、ベルリンの博物館に行っている。そうして、それは戦前の事でございますけれども。戦前というのは第一次欧州大戦ですね。確か、このすぐ後から欧州大戦が始まるんですね。1912年ですから。ところが欧州大戦が収まりますとね、初めて、ベルリンの博物館に展示いたします。展示致しましたら世界中がビックリしちゃったんですね。こんな素晴らしいもの、どうしてきたんだ。で、一番、ビックリしたのは何処かというと、エジプトなんです。あんな素晴らしいものがあったんだと。いつ何処で誰が持ち出したんだって調べていくと、実は、この方がガラクタと一緒に、よくあるでしょう?ガラクタと一緒だと、はい結構ですとサイン、それで出されたんだって初めて解る。


01:03:56~01:04:29
それでエジプトが、それを返せと言って、外交交渉するんですが、返してくれない。それで、とうとう皆さんがお信じにならないかもしれませんが、たった一人の美女の胸像の為にエジプトとドイツは国交を断絶してしまうんです。ごく最近までしていたんですよ。で、まだ2~3年前でしょう?国交が回復したのは。それは新聞でご覧になったはずです。だから、私は、この事件というのは何か光のある事を意識させる為に天が仕組んだ事件としか私は思っておりません。


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何故かというと皆様が、このネフェルティティにお会いになりたかったら、世界美術全集のエジプトの部を今日の帰りに何処か行って見ればタダで見れますから、ご覧ください。但し、この図番を見ると必ず、この方の、こちらの面しか写っていないんです。右の側面からの図番しか御座いません。何故、無いかというと実は、この方の左目は欠落しているからです。皆さん、一番初めは正しく見るの、この目はどちら側の目だと思っていましたか?左目でしょう?


01:05:23~01:06:29
実は、この新潮選書(調べたら文春文庫でした)というのに「古代女王ものがたり」という一番、この顛末を簡単に書いてある本がありましたがご興味がおありの方はお読みになると良いと思いますが、これを読んだだけで左目の病気が治った方が何人もいらっしゃるんです。それから光という事をですね、光という事で近づいてくる方で、現在、左目、目を病んでいるとか、過去で目を病んでいる方の中で圧倒的にパーセンテージが高いのが実は左目です。女性の場合。私、非常に不思議に思って何十人と、そういう方を見て参りました。全てとは言いませんよ。しかしパーセンテージは絶対的にそちらの方が高いんです。


01:06:29~01:07:38
これも何か私共、光のお仲間に暗示されている一つのインフォメーションだと私、思っております。それでは今度は、じゃあ日本ははどうなんだという話になりますね。そうすると、これは関東よりもこちらの方に実は沢山分布しているんですけれども日本の各地にこういう物語がありますね?どういう物語か言いますと、一つ目小僧伝説というのがある。この中にもお爺ちゃん、お婆ちゃんから一つ目小僧のお話を聞いた方が沢山いらっしゃると思う。そうして、この伝説があちらこちらに分布してきているという事を日本でシステマテックに一番最初に気づいた方が柳田國男先生という日本の民族資料を色々と集大成なさった偉大な方ですね。

01:07:38~01:08:37
一つ目小僧伝説。ところが、その一つ目小僧伝説というのは一体、どういうところに存在しているのかというと、段々、地理的に辿っていきますと、必ず山間の、しかも風がものすごく強く吹くところの近くに実は神様として祀られている事に繋がってくる。この中にいらっしゃる方でも、ご自分のお住まいになっている、または御生れになった近所に、こういう神様が祀ってあるのにお気づきになった方が何人かいらっしゃるはずです。
天目一箇命
これ、「あまのまひとつのみこと」と読むんですよ。

01:08:37~01:09:45
一つ目小僧です。それでは、この一つ目小僧というのは、一つ目なのにどうして神様に祀られてしまうのか?考えてみると不思議ですね?先ほどの話と、また似通った話になってくるんですが。私も、この一つ目小僧伝説というのは、若い頃に重大に関心を持っていたんです。そして、先程の、目から光が入ってくる話は完全に光と関係しているでしょう?それじゃあ、この方達が、どういう方だったかというと、まず、日本の国は、最初は採集文化というんですかね?そこにあるものを拾って食べたり、何かして、段々来るんですけれども、いつか稲というものが解ってきたりして、日本も段々と縄文、弥生となって、農耕文化に移って参りますね。これは世界中、何処でもそうですから。

01:09:45~01:10:54
そうすると農耕文化に辿っていって、初めて、色々な集落を組むとか、政治的な問題が起こってくるという、文化文明というものの発生に繋がって参りますね。しかし農耕というものは道具が無いと出来ませんんね。鍬や鋤がないと能率の良い農耕は出来ません。鍬鋤というものは一番最初は何かというと、青銅で作っているんですね。それから少し時代が降りまして、鉄で作るようになる。何故かというと鉄の方が製錬法が難しいからです。銅にしても、ただの木や石の細工とは違います。そういたしますと、日本の各地に大陸から色々な金属文化、金属の加工技術が入って参りますけれども、それは現在、やれバイオテックとか、ハイテクとかエレクトロニクスとか言っているよりも、その当時の方にしてみれば、今、我々が、ハイテクとか言っているものを意識しているものより、もっともっと大変なんです。

01:10:54~01:12:07
全然、今までは山の中にあった土塊のようなものが、色々と精錬していくうちに、それが鍬になり鋤になり、実は大変な事なのですね。大変な事だという事は、どういう事かというと、そういう事をなさっている技術者というものがですね、まるで集落の神様のように大事にされていたという事は、お解りになりますね?だから、こう祀られている。それでは強い風と何処に関係があったかと言いますと、それは今の時代の中でですね、今の時代ならば強い風が必要でしたらブロア買ってきましてね、回転していけば、いくらでも強い風は得られますけれども、当時は、そういうものは御座いません。だから、当時、金属を精錬して、当時は1000度という温度をですね、得るという事は実は大変なんですけれども、少なくとも金属が溶けるまでにですね、炉を加温する為には、ただ薪を炊くだけでは無い。それに強い空気を送り込んだのです。

01:12:07~01:13:23
だから、まず空気の素自体が強い風でなければならないという問題が浮かび上がって参ります。また、その強い風を、さらに倍加して、炉に送る時には、何が必要かというと、鞴というものが必要となってくるんですね。そうすると、その鞴というものを、私共が使いまして、金属を精錬していきますと、今のように計器がある訳では無い。その鞴を踏んでいる方が精錬の技術者です。神様です。その方達は必ず自分の目で炎を凝視しているんですね。凝視しております。長年、それをやっておりますと、必ず右目を痛めて一つ目になります。それが祀られている。と、私は思っております。

01:13:23~01:14:45
現在只今でも思っております。右の目ですね。どちらかというと人間って右利きが多い感じ、なんとなく眼鏡の無い時代でも左目を使う方もいるかもしれませんが、やはり片方の目を特に意識を集中してご覧になっているでしょう?そうすると意識を集中している方が炎の光の為に痛む、そして自分の身を犠牲にしても金属を精錬して順調に農耕を営む術を与えてくださる方達を昔の我々のご先祖が神と崇めて大事にしているという事は当然有り得る事ですね。それからその辺でお気付きだと思うんですが、これは変な話になって大変恐縮なのですが日本の国というのはですね、よその国と違って実在した人以外祀っていないんですよ。現にこの近くに湊川神社という、あそこにおられる神様は何という神様ですか楠木正成という神様です。実在した方なんです。

01:14:45~01:15:40
日本人というもの我々のご先祖、また我々も含めて我々に具体的に、この地上に足を着いて我々の平和の為、豊穣の為、充実の為に尽してくださった方が亡くなった時、神を祀るという事をやっているんです。現代でもやっていますね?そうすると百年前もやっているんです。200年前もやっている訳。これからちょっと行ったところに赤穂に大石良雄という方がちゃんと祀られている。あそこは他の神様、何も祀っていない訳ですね。そうすると200年前もそうだったら1000年前もそうです。2000年前もそうなんです。だから、そこら辺に 行って、なんとかの命ってあるんですが、これは何の何兵衛と書いていないだけで、必ず実在していたんだという事は今のあれから辿っていくと割り 出されてくるんです。

01:15:40~01:17:00
という事は私共が大変ですね、ご先祖を含めて何か悟らなくちゃいけないという社会という日本の社会という場を与えられているんだという事を自覚せざるを得ませんね?自覚せざるを得ません。それで今度は、この前、今年の第7課で御座いますか?私共はどういう御勉強をしたかといいますと、その時に陽号という御勉強をしましたね?ちっともお解りにならない方もいますから簡単に解説いたしますと陽号という言葉を聞いた事がいない方、手を挙げてくださいませ。
陽号
こういう言葉、ご存知ない方、沢山いらっしゃるんですね?これは今年、お正月早々勉強した事でして、陽号というのは簡単に 申しますと私共人間社会というものはですね、こうやって解る言葉でやり取りをしているかというと実はそうじゃないんですね。

01:17:00~01:17:51
一番大切な事は解らない記号で対話しているんです。現に戦争でお互いに送る電報その他は暗号というんですね。それから最近ですと庁舎とか大きな金融機関が国際的にやり取りしているものは殆ど暗号のはずです。だから光の世界だって大切な事はですね、暗号で送られてくる可能性がある。現に送られてきている。そして、そういう事は単純明快矛盾なしの明快にあれするから、この言葉ちょっと御遠慮願って陽号と呼ぶようにいたしましょうという御勉強をいたした訳でございます。

01:17:51~01:18:50
で、こういう御勉強をしてから、それなりに色々な事を体験なさっている方もいらっしゃいますんでね、話もしやすいんですけれども先程から、その光の色々な入ってくる後ろから入ってくる、そうすると、これもカルタの中にありますが、霊子線という言葉がありますが今、私、そういう言葉を使う必要がないから。しかし、入ってくるパイプね。パイプというのは、いったいどのような事になっているんだという事は、やっぱり私だって重大関心時なんですね。で、中には霊能者でですね、こういうところから、なにか、パイプが 出てくるみたいな話をする人も結構いらっしゃるんです。本物かどうか?知らないけれども。それから色々な例えば2~3年前ですか?長内年恵という方の伝記とか皆、後ろからパイプが、こう来ているとか漫画に描いてあったりとか不思議な感じがいたしますね?

01:18:50~01:19:58
そうすると、そのパイプ、どうなっているのかな?と。やっぱり、物事って例えば水道の水源地から、やっぱり途中でポンプとかあったりして、皆様のお宅にお水が届く、ガスタンクからガスが届く、やっぱり、何かメカニズムがある。それで、これは今から約10年くらい前の話に溯っちゃうんですけれども、で、どうして今頃どうして、そんな話を今頃になってしてくれたのと言われて、そんな話をしたって誰も聞いてくれないと思って、ようやくこういうお話をする私も勇気が 出てきたんだと思っていただければ結構です。それで、まず、その後ろから入ってくるパイプ。だから、その時の考え方と、そのまま現在の考え方と同じというんじゃないんですよ。それが発展していくと現在の考え方になったんだと思っていただければいいんですが、その時にですね私は。ここは御当地は神戸というところで御座いますね、関西のね。大阪と一緒になって京阪地区という大変なところで御座いますね。

01:19:58~01:21:03
ところが私は東京の生まれで御座います。現在、市川に住んでいますが、東京とすぐ隣でして川一つ隔てて東京の一部みたいなもので御座います。現にノアという会社は東京の中に御座います。ですから、もう東京で生れて東京で育ったみたいな生活をしている。そうすると、まあ、10年近く前にですね、その頃には、どういう事が自分の心で訴えかけているかというと、こう、要するに天というものは自分に一番身近なところでですね何かヒントを与えてくれているんだという事を、もう、これ一種の信念というか常識になっているんですね。で、もう、ここにいらっしゃる方も、そういう目で、こういう景色とかもご覧になられている方も沢山いらっしゃるんです。ふと私は生れて何処に住んでいるかというと東京ですから東京で一番、始終活用しているものは何かというと、このところ変な名前になっちゃって、E電だとかになりましたがね、これ良いか悪いかわからないんだけれども要するに国電というものがあるんですね。昔は省線と言ったんですね、私が子供の頃。

01:21:03~01:22:22
で、解った頃は、まだ国電時代ですから国電という名前で板書させてください。で、国電の「こく(酷)」というのはラッシュアワーとかで、とても残酷だからE電に変えたなんていう、それはそれで、また、懐しい名前だから。で、ここに東京の方はちょっと少ないんでですね、大変恐縮なんです。東京の方は、この話をすると、パッと解っていただけるんですがね、東京というのは、まず、昔の東京府と言った頃の東京市というのがあるんですね。で、それが現代の区部というのより、もっと小さいんです。どのくらいかというと一番簡単に言うとですね、山手線というのがあるんですね、山手線。これ東京の人間は「やまてせん」と読まないで「やまてせん」と読むんですね。これが環状です。そして、今度は東京駅から、ずっと 出ていくんです。それが、ずっと八王子まで 行っておりましてね。これが何という線かというと、これは中央線と言うんです。

01:22:22~01:23:35
中央線。それから今度は、ずっと横浜の方から上っていきまして、大宮まで行く電車があるんですね。それを東北線というんです。それから実は私が住んでおります、市川ですね、市川等をずっと通って当時はお茶の水というところが起点になるんですけれども、現在は三鷹というところから、千葉まで通って、総武線というのがあるんです。その後、色々と増えましてね、埼京線だとか横浜線だとか、色々なのがあるんですが、とにかく東京で一番主要な環線電車は、これなんです。
山手線
中央線
東北線
総武線

01:23:35~01:24:57
特に当時は、これしか無かったんです。ところが毎日、毎日ほとんど 乗っていますからね、ある時、じっと、その線路を眺めて日暮里という駅で、それをやっていたんですが、日暮里という駅で眺めていた。これは大変な事を教えてくれているのに気が付かなかったなと思ったら不思議で不思議で1時間、鉄を眺めていたんですね。そして、そのままポンと降りちゃったら今、皆さんとお目にかかれなかったんですが、ホームから降りないでですね、喜びいさんで自宅に帰りましたらですね、で、まずですね、最初、不思議でしようがなかったですね。で、何故、不思議かといいますとね、今の皆さんは、ここに書くと、直ぐに解っちゃうんですよ。当時、これ、解るのに本当に大変だった感じがいたします。だから、これ話すのにね、あんまり簡単に話したくないなと思うんだけれども、やっぱり簡単になっちゃうから、しょうが
山手線というのはね、今はアルミの車体になっちゃったんですが。だから銀色していますけれども、ちゃんとベルトが巻いてあるんです、鉢巻。で、昔は全部、緑でくるんであるんです。


01:24:57~01:28:08
山手線というと緑なんです。で、東北線は何色かというと、ここにいらっしゃる方で東北からいらっしゃったかたはAさんですね。ちょっとAさん、立ってごらんなさい。要するに東北線がこれなんですよ。で、青。そして、今度は中央線は何かというとピンクですから赤ですね。で、総武線って何かというと要するに黄色なんです。そうすると、こう書いただけでも皆さん解ってきちゃうでしょう?
山手線 5
東北線 6
中央線 2
総武線 4
まったく素晴らしいと思っていたのですが僕は毎日、毎日、目の前にしててですよ、山手線に 乗っていても値上げばっかりしやがって偶には値下げしないか?とか考えていたから、さっぱり解らなかった。
ある時、「はっ」と解った。先程から3000年前の事、4000年前の事、色々と触れているけれども、現在、我々のいる世界に何かヒントを与えられているはずだと、その時に思う。そして、その頃になると心の断面図というものは光で解ってまいりましたから、「あれあれあれ、これ不思議だなあ」ってね。不思議だなあと思った。ところがね、これ、ちょっと図面で書きますと、こうなっているんです。山手線というのは、こう環状になっていますね。そして、これが5番です。そして東北線というのが入ってくるんですね。東北線というのは、こちらが横浜で御座いまして、これが東北線です。これが6です。ここのところが一緒になっているんですね。そして中央線というのは何処から 出ているかというと、ここから 出ているんです。で、中央線というのは、ここから新宿に入っていくんですね。新宿で山手線と交差する。それでは今度は総武線というのは、どうなっているかというと、総武線はこちらです。あとで駅名書いていきますから解ります。そして、ここが面白い事に代々木というところで合って、また新宿で分れていくみたいな感じです。そうすると総武線が黄色でしょう?そうすると横のあれは、ここが2番ですね?これ一緒になってますでしょう?そうすると縦と横というのは、この中で実現しているんです。

01:28:08~01:31:48
だから難しい事考えないで、この国電の在り方見ていたら何だか不思議だな。聖書の中に書いてある、あれ、エデンの園じゃなくて、江戸の園じゃないかな?とか、この頃、勝手な事を考えるようになる。ところが、ここは先程申し上げました通り、ここは品川というところです。そして、これが、ここで6番と、これ、5番ですね?6番と5番のところで、そして東京というところから2番が始まる。そして、何処でこれが交差するかというと御茶ノ水というところがあるんです。それから東北線と山手線と総武線が交差するところは秋葉原というところです。そして、また、ここで分かれていきますね?分かれているところが田端というところなんです。そうすると今度は、ここが代々木、新宿。こうなる訳ですね?この周っているのが山手線で5番ですね?そして東西に来ているのが東北線ですね?6番。そして、ずっーと縦に貫いているのが総武線。縦というのは。縦横が、現実には、こっちが横ですね?これが総武線です。ここ一つ抜けましたね。これ、神田というところです。そうすると、所謂、光のパイプが一致するところと、分れているところ。これが8箇所あるって解ってきますね?で、変な話ですが今考えると、こんな事やっているんですね。あれっ?これ何だろうって。やっぱり、こういう大切な事を教えてくれているんだから、まだ何か教えてくれているんじゃないか?と、そういう風に考える。

01:31:48~01:35:16
そうすると皆さんは、この1月か2月に必ず陽号という考え方でですね、その中から、まず何に注目するかというとαとωですね。でαとωに何時の間にかそれやっているんです。αとωはどういうのかというと品川の「し」と品川の「わ」ですね?それから東京の「と」と「う」神田の「か」と「だ」秋葉原の「あ」と「ら」田端の「た」と「ば」御茶ノ水の「お」と「ず」代々木の「よ」と「ぎ」新宿の「し」と「く」ですね?これに、ずっと注目までしている。そして、この前、御勉強したように、これをカードに写し取りましてね、そのカードを、ずっ~と、こうやっている。で、それを、ずっとやっていったというのは、そんなに短い時間じゃないから省略いたしましてね、結果だけを此処にお書きしましょうね。そうすると、皆さんは青は鷲だって解っている訳です。そうすると、ずっと見ていると、ここに「ア」があるでしょう?「オ」が無いかな~と思って見ている訳です。そうすると、ここにあった。
アオ
そうすると、「青」は鷲だって解っていると、すぐ、何か繋がってくるでしょう?品川って、ここに「ワ」があるな~って。「シ」もあるじゃないかってね。
そうすると
アオ ワシ
そうすると、青と鷲 6番。すると、待てよ。御茶ノ水は「水」だから、ここに 出てきちゃうんですね。何か無いかな?と探していたら何があるかというと面白いのが 出てくるんですね。「新宿」でしょう?
「シ」 御茶ノ水の「ズ」新宿の「ク」。雫って「水」の事でしょう?
これ、どういう事になっている?
アオ ワシ シズク
6      6     6
ヨハネの黙示録の第13章のωの言葉が 出てきちゃう。666である。


01:35:16~01:39:45
じゃあ、そのあと、ずうっと、やっていくと、ここ「ト」だから、ここに「ウ」があるから、
トウ (問う)
って解りますね?そうすると、ここに「カ」があるから、ここに「ギ」があるから、
カギ (鍵)
ここに「タ」があって、ここに「ダ」があるんですね。ここに「ラ」があるから
タタラ
ここに「ダ」があるから、ここに「ヨ」がある。
666を問う鍵タタラだよ。じゃあ、タタラって何でしょう?実は先程の天目一箇命が使っていた足踏みの鞴の事を踏鞴(タタラ)というんです。そして踏鞴というのは、
タタラ
大陸から渡ってきた技術だからタタール民族が伝えたものだという言い伝えもある。
タタラ
タタール
よろしいございますか?そして
TATARA
TATARU
これ、カナを其の儘 入れさせていただくと、
ルティティ
RUTITI
そうすると、芯になっているのは
RTT
922
こういう光に繋がっていく。実は全国で292とか922を光の中に持っている方が色々な形で有形無形で、この光の発展に協力してくださる意味が解ったような感じがしております。そして、この国電は私が作ったものでもなんでもございません。生れる以前からですね日本の先覚者が、これから東京という街を文化的にも文明的にも便利な、そして、そこに住んでいる人たちの調和に役立てようと人智を絞って作られてきたものですね?そのものが我々に重要な鍵を与えてくれる考え方。これ、光じゃなくっちゃ出来ないし光じゃなかったら解らなかったんじゃないかと、それじゃなかったら、ただ鉄の線路がですね、ノタノタと地上をはっている事に過ぎなくなっちゃう。

01:39:45~01:42:17
何か私、そして、変な話ですけど、こういう事を割り出してきたのはですね、かれこれ10年も前なんですけれども、こういう話を皆様の前でする勇気なんて一欠片もありませんでした。家内に話しただけでですね、解ってもらえるかな?と。まず気狂いと思われるんじゃないかとですね。ところが今は確信を持ってお話していて一生懸命ノートを採ってくださる皆さんがいらっしゃるんですね。皆様の御姿を拝見して心からありがたい事だと思っております。そして、よく、自然というものが教えてくれるというと、すぐ所謂、大自然だとかですね、野とか山とか海とか、そういうものに色々と触発されて宇宙の偉大さを知ったとか、神の偉大さを知ったという物語は沢山ございます。しかし、それよりも、我々が日常ですね、我々の生活を成り立たせているものから、汲み取る術を私共は、それこそ大切なものだとして行きたいと思うんです。それじゃなかったら実は我々の人生というものを調和していく力は実は無いんです。山を見たり野を見たり、海を見て、そこに雄大さ偉大さを感ずる、それは素晴らしい事です。結構な事です。しかし、ここにある、ビルでもなんでも、これは人工のもの、、じゃないですね?我々が、やはり、天から与えられた物質というもの我々のエネルギー、我々の人智をしぼって作りあげてきたもの、その中にも、もっと大切な我々の身近な真理が含まれていて、そして早く、この事に気が付いてください、気が付いてください、と絶叫しているんじゃないか?と思うんです。私、実は、その日本の駅の、佇んでですね、ずっと、轍を踏んで、轟音をたてて走り去って行く、山手線、東北線を、じっと眺めながら、その光の世界の魂の絶叫を轟音を聞いていたような気持ちで、その1時間を過ごしていたのが10年前の私でございます。

01:42:17~01:43:45
皆様も今日お帰りになる時に何かそういうものに一つ耳をすましてみてください。その中には必ず、皆様としての偉大なお悟りがあるはずでございます。今日はどうもありがとうございました。
私は貴方様からお手紙をいただいた時に、びっくり仰天しておりましてね。で、嘘だと思ったら家に来ていただければ解ると思いますが、実はその一月程前に孫がね、お馬が欲しいと言いだすんですね。それで下の孫ですから、832ですからね、赤いお馬を作ってあげたんです。そしたら、もう小学校 行っている上の孫がですね、余程、恥ずかしかったんですね。そして、「おじいちゃん、おじいちゃん、ちょっと」と人前で言うのもあれなので影で「何だい?」「ちょっと耳貸して」「お馬が欲しい」。それで白い馬作るってあげようと思って、御目目 入れようと思ったらIさんのお手紙が来たのね。疑わずに左の目ですね?赤い目を 入れておきました。ありがとうございました。

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