21 「宇宙暦7 (217)」


0:0:0~0:4:10
皆さん、こんばんは。今日は群馬県から3人...。それで2ヶ月経つと色々な事が起こって参ります。今日もまた全然会った事の無い方が3人いらっしゃいましてね、それもなんだか、あの先生に会うとラッキーカラー教えてもらえるとかですね、そのくらいの軽い気持ちでいらっしゃったんですけれども。一人は仙台、一人は長崎から来るんですよ。一人は東京の方でしたね。もうお別れするころには御自分の使命感に燃えてね、ラッキーカラーがどうのこうのなんて、すっ飛んじゃってね、お帰りになっていただいたんですけれども、この方に私が。この方が、これ、何て宗教ですか?って言われたんですね。で、当然、そうゆう、この、心だとか光だとか、初めての方がいらっしゃると、.... 宗教っていうと辿っていくと仏教だったり神道だったり、まあ、数はキリスト教の流れもありますね。あと、同じ仏教でも法華経という、そのお経の方にルーツを辿っていくのもありますね。それから神道ですと、岡山県にルーツがある金光教という宗教がありますね。これは現在の色々な神道系の宗教の母体ですね。皆さん、ご存知ですと、天理教もそうだし、大本教もそうですし、メシア教だとか、真光だとか生長の家も、そこから出てくる訳ですね。それで、まあ、何故、こんなお話に入ったかというと、この皆さんが今、勉強している光の世界というのは、そういう宗教とは似て非なる、似てもいないし、非なるものなんですね。例えば、こういう、今、申し上げましたのは、世の中の組織とは全部、縦割りですから、この頂点にトップの方がいらっしゃるんですね。会社だったら社長。今まで皆さんも色々な見聞をなさっていますけれども、社長が二人いる会社って見た事が無いです。会社というのは必ず一人なんです。課長が二人いる課というのは偶にあるんですがね、社長というのは一人ですね。何も社長に限らず、あらゆる宗教団体の教祖は一人です。

0:4:10~0:6:08
そして、私、光というのは、そういうのとは似て非なるものだと、一番わかりやすいのはこの事だと思うんですね。もし私が、光というのを突端に解ったから、なんとなく私という事になっていますが、私が所謂、世の中で言っている教祖様だったら、こんな事するはずが無いんですね。何故かというと私は無限に自分と同じ人を作ろうと思っている。まあ、先程の宗教用語をお借りしますとね、教祖様を全員作ろうと思っているんです。これは本当です。だから、Fさんがですね、僕と同じ歳になったら、僕と同じ事をやっているという事になっちゃう訳。無限に作るんだから。Iさんだって、Kさんだって。Oさんも先程来たばかりなのに、私も教祖様になっちゃうの?なんてね。ただ、この教祖様は全然儲からないし無報酬だしね、やっているのは、この頭陀袋担いで、みちのくひとり旅という教祖ですから、それだけは覚悟しておいてくださいね。
要するに無限に、この頂点を作っていく。だから私にとってはですね、自分で、この、Oさんとか、その他、色々な方から、あれしてこれして、解ってきた事は、なるたけ早く、差し上げなくちゃいけないんですね。だから、出し惜しみしていません、絶対に。但し、差し上げるのに、消化不良するような差し上げ方をしたら、こっちの負けですから、前にもお話しましたように、宇宙暦というのは、だいたい10年くらい前から解っている。だいたい自分で耕しちゃうんです。そして宇宙暦というのは発表してもう、どなたも違和感なく受け入れてくださる土壌を作ってから、ちゃんと出している。

0:6:08~0:7:7
出し惜しみしないで出します。そうすると、これの解説書、何時出るんですか?とか色々なお話があるんですが、これはもう、当分2~3年のうちに、一人で泳いでいるうちに、また、色々な事が集まって参りますから、それで少しも遅く無いと思っています。そうすると、先程も御三方程ですね、新しい方だけでも御三方、これは一人が~ですか?それから、仙台だったかな?で、もう一人は東京の方です。で、その方が3時間でですね、最初のうちは、どうやったらお金が儲かるか?だとか、そんな事が分かるんだろうと思ってきたのが、全然、このノアという会社に入ってくる前の考え方が何処かに気が付いてみると無くなっちゃっているんですね。

0:7:7~0:8:30
という事はどういう事かというと、まあ、私もこんなつまんない人間ですけれども、必ず1時間か2時間か3時間か向こうが時間を割いてくださいまして、聞く耳を持ってくだされば必ずその方に一つの人生観を変えさせるという事が私は、まあ、今まで大体可能のように思っています。あって。そのチャンスが無いだけです。そうすると今度は私の周りに色々なこういう方が出来て、こう変わっていく。ところが、この13年ほどやっておりましてね、私自体が一番その色々な光の論理がこう正しく解っていくとか、聖書の此処のところが、こうなっているのが解っていくという事にも、勿論、自分では苦労したつもりですが、私の頭の中をですね一番占領していたのは、どういうのか?というと、此処のところなんですね。此処から此処には、どんどん伝わっていくんです。会うか?会わないか?の問題。ところが、こっちの方がね、輪が出来てくれないんです。さっぱり。という事はどういう事かというと、これと同じものになってくれなくちゃ。同じものになるという事は、この周りに光が伝わり出すという事でしょう?

0:8:30~0:10:00
それでね、私、これ13年間考えた、本当言うと。皆無じゃ無いですよ。皆無じゃ無いけど、その数、ものすごく少ないんです。これじゃあね、100年~を待つものだけど何か仕掛けがしてあるんじゃないか?と思ったね、天は。そうしましたらね、やっぱり、これだけは当たったね。向こうからやってくるんです。そういうメッセージが。今日、持って来ました。それで、理屈抜きにしてね、Hさん、お願いできますか?ちょっとお待ちください。何処でも同じ事やっているんです、私。理屈抜きにして、まず、このレポート読んでみてください。今、Hさんがお読みくださいますのはね、皆さんもこの中でご存知の方、いますね?静岡県の静岡にR.Kさんという方がいます。その方のレポートです。9月17日の一つのご自分の体験が書かれています。で、表題から読んであげてください。

0:10:00~0:11:48
【9月17日 UFO基地からのメッセージ】
午後、渡辺先生より御手紙を頂きましたが、私も仕事の途中で封を開けて読んではいられませんので、仕事のきりが着くまでと思い座右に置いてありました。一人の方の治療が終わり、次の方を始める前に読もうと封を開けてみると"義経神社"の由緒書が出てきました。そしてその由緒書の郵便番号の中の「551」と電話番号の中の「145」と「224」が赤い線で囲んでありました。しかし、どうして義経神社の由緒書が送られてきたのだろうかと先生からのお手紙を読むと、私が2月28日、先生の奥様の御葬儀に出席させて頂いた折に、先生にお渡ししたレポート「宇宙暦を手にして」をお読みになって下さり、義経神社の由緒書を送って下さったとの事でした。その訳はレポートの中には近藤重蔵の名前があり、義経神社の創立者がその近藤重蔵なので、先生は由緒書を送って下さったのだなと思いました。

0:11:48~0:13:22
先生からのお手紙を読み終えて、次の「アルファ」という店を経営なさっていらっしゃる944
の光、つまり私483にとって天の声のエネルギー(483+551=944)であるSさんの治療にかかろうとして、お手紙と由緒書を封筒にしまいながら、私は母に「義経神社のある平取にはUFO基地があるんだよ。」と言った途端に、Sさんが突然奇怪な事を喋り始めました。それは丁度、何かがSさんに取り憑いて話しているかのような話し振りでした。私もこんな経験は初めてなので、ただ黙ってSさんの言う事を聞いておりました。その時、まず最初に「近藤さん、あなたは今年の9月17日、平取にあるUFO基地に来なさい。そうすれば、UFOを見せてあげます。又渡辺先生も一緒に来れば、UFOに乗せて光の世界を御案内致します。」という事から始まり、結局1時間以上も色々な事を喋り続けてお帰りになりました。

0:13:22~0:14:37
 その時のSさんのお話しを要約しますと、「我々は光の世界の者であります。我々は地球上に平和をもたらす為に送られて来ました光の天使でありますが、光の世界から送り出されて地上に着いた途端に、自分達の任務を忘れてしまい、ひどい者になると憑衣霊のようになってしまう者までいます。しかし貴方が以前Sさんに ”変なものが懸かった様になった時には「ひかり」と言って下さい”と教えてくれた御蔭で、我々光の天使違も本来の任務を思い出す事が出来る様になったのです。そしてこの近藤さんのこの家には、沢山の369マークがあるので、我々も安心してこのSさんを通してコンタクトする事ができるのです。」等々と訳のわかった様な、わからない様な話でした。

0:14:37~0:15:34
しかしこのSさんのお話の中で不思議に思った事は、何故Sさんを通してコンタクトして来た者が私の誕生日の9月17日を知っているのかという事でした。Sさん自身は私の誕生日など知る訳もありませんし、又お忙しい渡辺先生が9月17日に私に付き合って北海道でUFO見物などはされるわけもないなと思いながら、確認の為にその夜、仕事が終わってから渡辺先生の年間予定表を見て驚きました。なんと、9月17日は札幌となっていたのです。
こんな事があって、私は今から24年前の記憶の中に仕舞ってあった、北海道の平取町でUFO基地を見た時の感動を思い起こしました。

0:15:34~0:18:27
それは昭和41年、私がまだ17才で高校3年生の時でした。ぼんやりと高校生活を送っていた私も、何かそんな自分に物足りなさを感じ始め、自分自身を発見してみようと思い、夏休みのすべてをかけて北海道の根釧原野の開拓部落で、農業実習をしてみようと決心し、別海村春別にあるYファームでの20日間の農業実習に参加しようと、昭和41年7月24日静岡を出発しました。 その当時も、今でもそうですが、貧乏生活をしていた私は北海道へ行く旅費もなく、兄達からの義援金1万円程を持ってヒッチハイクで目的地へ向かいました。自衛隊にいた兄から貰った背嚢を背負い、まるで乞食の様な恰好で旅をしました。国道で手を挙げては車を止め、目的地を言っては運転者に頼み込みトラックや乗用車を乗り継いで、7月27日、青森県三厩から北海道の福島へ渡るカーフェリーの中で帯広のTさんの車に乗せて頂きました。そして、帯広に向かう途中の7月28日午後、”門別町を廻って義経峠を越え、平取橋の所で国道237号線に入りましたが、その平取橋の手前のカープを曲がった途端に視界力が開けて、沙流川の対岸の緑の中にメキシコのパレンケにある階段式のビラミッドと同じ様な形をした白亜の神殿が響え立っていたのです。

それは、7月28日より数日前に週刊誌に載っていたUFO基地だったのです。又、中学・高校
時代、G・アダムスキーの円盤関係の本はかなり読んでいたので、その時の驚きはなんとも形容のしようもない程でした。

0:18:27~0:23:14
そして、今年の3月22日のSさんによる突然のファンタジーの世界への招待は眉唾ものと思っていたので、その後4月25日には兵庫県や京都へ光の探求に、5月3日には母の誕生日のお祝いに伊勢神官参りをしたり、又7月17日には光の友と「馬鈴の藤」の儀式を行いに富士山頂に登ったりして、UFO基地の事を考えない様にしていました。しかし、24年前に見たあの自亜の神殿は脳裏から離れずに私を呼んている様なので、思い切って9月16・17日と仕事を休んで北海道へ行く事に決め、航空券の手配をTさんにお願いしました。
 9月16日が近づき、24年前の記憶の整理をしたりしている内に、私は今回のSさんの事から始まったUFO基地行きも既に24年前から仕組まれていたのではないかと思えてきました。何故9月17日にUFO基地へ行く羽目になったのか、その原因を追求していくと、まず事の起こりは「宇宙暦を手にして」というレポートを渡辺先生にお渡しした事からの様に思えてきました。その「宇宙暦を手にして」には、私の誕生日9月17日と483の光を中心に展開されてきた、私自身の光の探究の軌跡と、「近藤富士」によって人生の頂点から転げ落ちて行った近藤重蔵と、近藤重蔵を師と仰ぎ、「救民」の為に命を投げ捨てた大塩平八郎の名が書かれているのです。「近藤富士」によって失脚した近藤重蔵と私との接点は「近藤」という名と「富士山」です。何故なら私は昭和56年の暮れから昭和60年12月31日までの4年間、富士山の写真撮影に命を賭けていたからてす。
そして近藤重蔵と私近藤Rにとって、大変面白いなと思う事は、蝦夷富士の麓に"近藤"という地名があるという事です。
次に大塩平八郎と私の接点は、大塩平八郎が1833年7月17日(663)に富士山頂に登りそれから9×17=153年後の1986年7月17日(663)の同じ光の日に私も富士山頂に登りましたが、その663の光は"366=UFO"の光に繋がっていくのではないかな等と考えは色々な方向へと発展して行きました。そして24年前、私を車に乗せてUFO基地を見せて下さったTさんの名刺を見て、私は驚きました。と言うのは、私が平取のUFO基地を見た日は昭和41年7月28日の483、つまり私自身の光の日だったのてすが、Tさんの名刺の電話番号の中に483があり、又123、729と3つの光があり、あの日Tさんと一緒に寄った苫小牧の支社の所在地は「苫小牧市三光町」だったからです。

0:23:14~0:25:38
ここまでわかってくると、光というものは猛烈な勢いで押し寄せて来る様に感じられました。
種石さんに航空券を届けて頂いた時には見なかった領収書をもう一度よく見て、私は願が抜ける程
驚きました。領収書の日付8月27日は、先日渡辺先生より光の原子爆弾が爆せた日だと教えて頂
いていたのですが、その金額の¥49,175-のαとωを取ると、中に9月17日と私の誕生日
が出てくるのです。更に電話番号の9071も9月17日となり、FAX番号の438は、483
私の光なのです。もっと驚いた事に〜の会社のマーク[Gマーク]は、UFO基地の
形そのものを現しているのです。
(先程のピラミッドの形で「G」を描いた)
何故こんなにも、何もかも符号していってしまうのだろうか。一体、平取のUFO基地には何
が私の来るのを待っているのか。非常に不思議な気持ちになり、出発の9月15日の夜を迎えまし
た。
9月15日の夜、仕事を終えて急いて帰宅し、出発の準備をしました。16日早朝の飛行機で羽
田を発たなければならなかったので、静岡駅から夜中の電車で東京に向かい、浜松町で既に宇宙人
の出迎えを受け驚きました。

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浜松町の駅にあったポスターは1905年、メキシコ市付近に墜落したUFOの中から発見され
た宇宙人の死体をドイツ人の二人のUFO調査員が抱えている写真だったのです。更にそのポスタ
ーをよく見ると、ポスターの掲示期限は9月16日、つまり今日となっていたのです。もし一日で
もずれていたら、私はこのポスターを見る事が出来なかったかもしれないと思うと、何か光の世界の凄い仕組みが働いているのだなと背筋の寒くなる思いでした。北海道に着き、千歳空港でレンタカーを借り、ともかく蝦夷富士の麓、ニセコ町の近藤村へ向かって走り始めるとすぐに「NOAH」が出てきました。 そして、支笏湖の脇を通り、広々とした景色を楽しみながら、羊蹄山を目指して行く途中、光とか泉とかいう名のバス停があったり、又真狩村のマークはダビデの星だったりして、今回の最初の目的地、近藤村に行く事が光の世界から歓迎されているのかなと思いました。

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近藤村に着いた時には、何か照れ臭い様な変な気持ちでした。そして、羊蹄山を目の前にして近
藤村という土地に初めて立ってみて、自分の心の中を探っていくと、ここに来て良かったなという安堵感と、ただ理由のわからない懐かしさだけでした。近藤村では、近藤神社にお参りして境内に我が近藤一族のエフライムの箸を打ち込み、又「馬鈴の藤」と書いた白石を一緒に収め、北海道での最初の光の行事も終わりました。近藤村の空気も十分に吸ったところで、今度は札幌に向かって走り始めました。今日は札幌で渡辺先生が「心=光」のセミナーをなさっているので、その会場に向かい、急ぎました。地図で距離を測るのとは大分違い、かなり余分な時間が卦かってしまいましたが、途中UFOの看板等があり一人旅の道中を楽しませてくれました。

0:28:39~0:31:16
予定については、渡辺先生に何もお話ししてありませんでしたから、突然セミナーの会場に現れた私を見て、さぞ不可解に思われた事と思います。しかし結局渡辺先生には、17日にUFO基地へ行く事等もお話しをしないでお暇しました。何故かというと、何の予備知識も先入観もなくUFO基地へ行きたかったからです。そして16日の夜は札幌から千歳に戻り、宿を取りました。9月17日、今日は私の誕生日。朝起きてホテルから窓の外を見ると、昨日の晴天とはうって変わって今にも雨の降りそうな空模様でした。千歳から平取町の義経神社とUFO基地を目指し、国道36号線、234号線、235号線と走っていると、8月のセミナーの時にお話しを聞いた八王子の千人同心の墓があったので立ち寄り、お参りをしました。その後平取町に近づくに従ってやたらと六角の看板が増えて来ました。そして六角牧場の所で写真を撮ろうと車から降りた時、六角牧場の中に「9071」のナンパーが入っていきました。これは、私の誕生日、9月17日を表していますが、Gの電話番号とも同じなので驚きました。そして、六角商店、光ちゃん食堂などを過ぎると、すぐ義経神社へ着きました。

0:31:16~0:32:21
本殿をお参りして、脇にある静御前、常磐御前の碑の所に行き、「私は静岡の常盤公園の前の近藤です。」と挨拶をして、そこに「馬鈴の藤」と書いた白石を供え、更に義経神社境内にエフライムの箸を打ち込み、この神社を設立した近藤重蔵氏に祝福の言葉を贈りました。さて、いよいよUFO基地に行く時が来ましたが、私の心は24年振りの対面の恥ずかしさ以外は冷静でした。義経神社の鳥居のずっと向こうの方にUFO基地が微かに見えていて、早く来るようにと呼ばれているようでした。

0:32:21~0:35:09
途中渡辺工業の看板に、渡辺先生の激励の念を感じながらUFO基地に急ぎました。24年前の昭和41年7月28日に私が見たUFO基地は沙流川の対岸からでしたが、全体の形がよくわかりました。UFO基地の入口に着くと、私が24年前に見たUFO基地とはとても同じ基地とは思えない程の荒廃振りでした。 ”ハヨピラ"と書かれた入り口の鉄の門扉も赤く錆び、鉄条網で中に入れないようにしてありました。その前に室蘭開発建設部の立看板があり、そこには私の光483がありレンタカーのナンパー5481の数もその看板の中にありました。
そして「5481」の中には、415と854の光が入っていますが、415は渡辺先生の大転換期のエネルギーであり、854は私の大転換期のエネルギーなのです。そして3月22日から9月17日までは180日あり、真に180度、人生感がひっくり返る日だったのでしょうか。
何か今日、UFO基地に来た事で3月22日に光の使者達の言った通りになりそうなので強い戦慄を覚えました。真っ赤に錆ついたUFO基地の鉄の門扉の脇に、人間一人がやっと通れる除間があったので、そこから中へ入りました。かつては大勢の人々が訪
れたであろうUFO基地も、今は全くの廃墟と化して草木も勝手に生えUFO基地全体を覆い隠してしまいそうでした。

0:35:09~0:38:47
《これが工事の標識のあるところですね。先程の車の5481も此処に出ています。これがUFO基地です。写真の日付は今年の9月17日》
24年前、実然私の視界に飛び込んて来たあの華麗で崇高な貴婦人の様な姿は跡形もなく朽ち果
てて、まるで映画の「猿の惑星」のラストシーンを見ている様な感じでした。それにしても余りに
も無残な姿に、私の足は前へ進むのも躊躇う程てした。
こんなにも荒れ果てたUFO基地で、光の世界の使者達は私にどんな光の世界を見せてくれるの
かと思いながら、僅かに残っている階段を登り始めました。
足下を見ると階段に三角形の模様が入っているのに気付きましたが、その時にはそれ以上の考え
は浮かんできませんでした。UFO基地の中段にあるアイヌの長老が空のUFOを指している碑の
所にエフライムの箸を打ち込み、「馬鈴の藤」と書いた白石を供え、369マークとアラハバキ像
もそこに備えてから、更にUFO基地の最上踏に向かって登りました。頂上に着くとそこには大き
な円いUFO基地のシンボルマークがありましたが、そのマークも24年という歳月の為に色褪せ
て、風雨に叩かれ、 トタンの継ぎ目だけがくっきりと「丸に十」の形になっていたので私は心に大きな衝撃
を受けました。
UFO基地の最上階の展望台から眼下に広がる景色を眺めながら、人生の不思議さを噛み締め、光
の世界の凄さ、そして光を発見された渡辺先生の偉大さにただ、ただ感動しました。人間が大宇宙
のエネルギーを自分の中に取り入れる事の出来るのは、何も立派な神段や経典ではなく、背中の扉、
を開けて、そこから自力で光を入れる事なのだという事を実感しながら、最上階から階段を降りて
くると、足下の階段についていた三角形の模様が何を意味していたのか、わかりました。それは3
69マークの模様になっていたのです。

0:38:47~0:40:6
ここに至って私は、3月22日Sさんを通して受けたコンタクトにより「最後には光しか残らな
いのだ」というメッセージを受けたのです。
 UFO基地での行事も終わり千歳に向かいながら、通常人間の心というものは、色々な人の言葉
の結果なのではないだろうか。他人の言葉で固まりかけている心を活動的にするには、光を入れる
しかないのだと、強く思いました。そんな事を考えながら、富川で国道235号線へと右折したと
ころ、道の両倒で数百人の中学生違が手に手に黄色の小旗を振って、交通安全を呼び掛けていまし
た。その光景を見て私は思わず、「聖都エルサレム入城」という言葉を思い出しました。
1990.9.28
K-R 483
《先程の三角形の輪です。これはK-Rさん》

0:40:6~0:42:17
(聞き取り難い)
これもう一つ、S.マリコさんという方なんですが(略)
【神塔(ミロクの塔)】
神塔(ミロクの塔)

平成2年7月6日(高橋先生にワン、ツウ、スリーが入られた日)
滋賀県にある石山寺ヘー向一揆の事でエフライムの著と、
ミロクマークを埋めに一人で行きました。

平成2年7月11日(株式会社・ノアの会社設立日)
再度、石山寺へTさんとMさんを案内しながら行きましたが
その帰りの電車の中の広告を見て、京都近代美術館で「ブリュー
ゲル展」が行われる事を知りました。

平成2年7月22日(宇宙暦2/27ノアの一家が箱舟から降りた日)
福井県の丸岡町にある豊原寺へ主人と車で登りますと、山の頂上付近
の草むらの中にかすかに豊原寺跡の面影を残している立て札が、顔を
出しているのを見つけました。

0:42:17~0:43:17
それによると、今からおよそ415年前の天正三年九月二日
織田信長によって一向一揆の時に焼き払われました。
豊原寺跡のある山頂からは丸岡町が、一望出来ます。
又、頂上近くにポツンと一軒のプレハブ小屋がありその中に、お地蔵
様が祀られていました。 本当に光って誰も訪れる人もなく不便な
場所にひっそりと待っているかの様でした。ここでエフライムの箸と
ミロクマークを「トトツウトトートトト」と説えながら埋め今は亡き
御魂に向かって、光文を読み上げました。

0:43:17~0:43:48
豊原寺跡から山を降りて来たのがもうすでに午後2時を過ぎておりま
したので、何処かで昼食をと思い乍らもまわりは田畑ばかりで
とうとう平泉寺白山神社まで来てしまいました。
ここも一向一揆の時には放火されている所です。

0:43:48~0:45:45
平泉寺白山神社の鳥居の直ぐ下にある Y へ入ってやっと
遅い昼食をいただきました。
お店の中には四頭の馬の絵とかワラで作った舟があり又、のれんの絵
はすべて六角形でした。
このお店の~さんが Yと言う名前で、そこから
お店の看板も Yと名付けたそうです。
ところがYの誕生日が昭和63年10月18日と聞き、
大変驚きました。と言うのは 私達夫婦の結婚したのが昭和36年
10月18日だったからです。
そして、8月の神戸セミナーの時先生がゼカリヤ書第11章7節
「その一本を恵みと名づけ、一本を結びと名づけて」と読んで下さっ
たのを思い出し背筋のさむくなる思いをしました。
又、このお店では「結ぶ」と言う民芸品の人形も売っていました。

0:45:45~0:47:1
平成2年7月31日~8月1日
T谷さん、O本さん、O月さん達とK-Rさんの案内で富士山五合目
へ車で行きました。昼食は河口湖畔の「不動」と言うお店で、
「ほうとう(法灯)」をいただきました。
平成2年8月13日
T原様のご案内で富山から渡辺先生始めK光様、O森様
―行が夕方芦原グランドホテルに到着し、私の主人も夜から一緒に
参加させていただきました。
平成2年8月14日
渡辺先生始め、T原様兄弟御夫妻とK光様、O森様、S井の9名が
2台の車に分乗して豊原寺跡へと向かい、そこでタクシーの運転手も
ふくめ全員で光の儀式を取り行いました。

0:47:1~0:49:4
平成2年8月21日(123)
京都近代美術館で開かれている「プリューグル展」で「バベルの塔」
の絵を見て来ました。

平成2年8月24日(156)
再び、京都近代美術館へT守さん、M浦さん、U海さん達を案内し
「馬鈴の藤」についても説明しました。

平成2年8月31日(134)
テレビを見ていると、イラクが日本人男性143名を人質にすると、
大きく出ましたが、何故かこの143と言う数字がこころに引っかか
りました。思い起こせば昭和61年9月3日に大阪府四条畷市にある
四条畷神社に行きましたが、その神社の御祭神は楠木正行公でありま
すが、その昔楠木正行公が四条畷の決戦に行くに際して奈良吉野の
如意輪寺にて一族143名の名を書き留め、又扉に辞世の句を書き
記したお話は有名であります。

0:49:4~0:50:36
四条畷神社の裏の飯盛山(高さ318メートル、宇宙暦8月31日)
の頂上には楠木正行公の銅像(昭和47年12日(月?)-134)が建って
おります。
昭和61年9月3日(639)にK-Rさんを四条畷神社へ案内して
その時初めて飯盛山へ光を投げかけに登った事がきっかけになり、
私の心の中の大きな疑間が解けてきました。そして私達の過去での
あり方とイラクで人質になった143名の人達との間に相通づる
ものがあるように思い、今回も同じく9月3日に四条畷神社へお参り
に行くことに決めました。

平成2年9月3日
前回行った時にはお墓を
お参りしていなかったので
今回は始めに、楠木正行公の
お墓へお参りし、人類の
調和を願つてエフライムの
箸を境内に埋めました。

0:56:36~0:51:30
一方四条畷神社では、平成2年が丁度御鎮座100年に当るので、
昭和63年から御本殿を始め諸施設を修復しておりました。
この日も境内には作業中のトラック数台が止めてありましたが、
その中に丸に十と立方体のマークが入っている車が一台おりました。
そして、本殿の横にある桜の本の下に143名の人質にされた方々の
御無事を祈ってエフライムの箸を埋めて来ました。

0:51:30~0:53:8
平成2年9月15日 敬老の日(167)
8月のお盆に田舎に帰る事が出来なくて9/15~16の連休を利用
して主人の父のお墓参りに金沢へ出かけましたが、又その日は私の
父の七回忌の命日でもありました。
先祖の桜井三郎左衛門が、天正12年9月末森合戦で前田利家公に
協力したと言うことで当時高松町(石川県河北郡高松)の年貢が免除
されたそうです。
その為、桜井二郎左衛門が額神社に祀られ地元の人達は皆この神社を
桜井神社と呼んでいるそうです。

私は結婚して29年振りにして、初めて主人とこの神社へお参り
して来ました。

0:53:8~0:54:52
ここでも記念にエフライムの箸とミロクマークを松の本の下に埋めて
来ました。馬の胴にある「三つ引両」は桜井の家紋であります。
そして、今日9月15日は私達二人の転換期の光でもありました。

平成2年9月15日=167
宇宙暦 9月15日=966

Y行
944+922=966

M里子
549+527=167

この日はまるでノアの洪水を思わせるかの様に朝から真っ黒な
雨雲がたれ込めて、たたきつけるかのような雨で車の前方が見えない
程でした。 しかし、不思議と目的地に着く頃になると雨がやんで
助かりました。
今日の最大の目的は石川県の梅田へ行く事でした。それはずっと以前
に先生から、この地名へ必ず行って来てくださいと宿題が出されてい
たのですが、二人揃って金沢へ帰る機会に恵まれず、この度やっと
念願を果たす事ができてホット安心致しました。

0:54:52~0:56:1
以前にも富山の桜井へ(平成元年10月22日)行ってきましたが、
平成元年4月までは桜井駅だったのが、私達が行った時にはすでに
黒部駅に変わっておりました。今回も石川県の梅田と言う事だけで、
そこへ行けば何か光の合図を送って来ているのだろうかどうかは
さっぱり見当が付かずに、ただ素直に言われるままに地図を見ながら
金沢市梅田町へと車を走らせました。
途中、電話ボックスの所に金沢市梅田町イ50と書いてありましたが
まわり田畑と民家が数十軒ある位で何も別段変わった物が見つかりま
せんでした。それでもと思い山の方へ向かって細い道を入って行きま
すと、いきなり鳥居の所にぶつかりました。良く見ると菅原神社と書
いてありました。

0:56:1~0:59:43
ひとまず車を止めて見る事にしました。ところが、そこで二人共
大変驚きましたのは以前先生がおっしゃられた通り、「梅田の里」と
書かれた石碑が目の中へ飛び込ん来たからです。
先生はどうしてこんな場所まで来なくても解るのかしらと思って、
ただただ驚くばかりでした。
石碑には   加賀(石川県)に 梅田
         越中(富山県)に 桜井
         上野(群馬県)に 松枝
を常世に与えたと書かれていました。以前に先生から石川の梅田、
富山の桜井、長野の松井田とお聞きした様に覚えていましたが
もう後一ケ所群馬にでも松枝(松井田)と言う所があるのでしようか?

ところで、昭和59年8月19日にK光様に板宿八幡神社へ御案内
して頂いた時の飛松天神社由緒書に、菅原道真公は都にいる頃
松、梅、桜を育てていましたが道真公が失脚した時、桜は枯れ果て
梅の本は花の香りを東風に乗せて西に旅する一行に芳香を絶えず
届けたが、松だけは知らぬ顔をしていたそうです。
そして、板宿に着いた道真公はため息ましりに
「梅は飛び、桜は枯るる世の中に何にとて松のつれなかるらむ」
とつぶやいたそうな。すると、それを伝え聞いた松は空を飛んで
来たという。その切株がいまだに、この板宿八幡神社に祀られている
と言う事でした。
天満宮と言えば梅鉢のマーク、そして先生はこの神社にて三巴、二巴
の原理(半熟玉子=板宿玉五)をお悟りになられたとお聞き致してお
ります。
菅原道真公は845年6月25日生まれで843泉の光ですから、
ここから神戸は光が広まって行くと言う事を物語っていたのでしょう
か。
さて、金沢梅田の菅原神社を出るといきなり134のナンバーの
消防車に出合いました。
その後私達は、金沢市の街はずれにある「有形文化財指定・江戸村」
に行きました。

0:59:43~1:1:36
梅田町と江戸村のニケ所が今日の目的でした。時計の針はすでに
5時を過ぎようとして日も暮れて山の中はすでに薄暗い感じでした。
江戸村の頂上には神塔(ミロクの塔)があると言うので、早速二人で
登りました。塔は高さが5メートル位の三角錐で金沢城の礎石と同じ
石で造られたものです。
その塔の真下に三角形が三つ組み合わされた石が埋め込まれていまし
た。

さらに塔から10メートル位離れた所に「天の真名井」が六角形の
敷地のなかに建っていて、井戸の前にはダビテの紋がついており、
「霊感叡智の泉」と書かれていました。
又、ここでは大変不思議な話を聞かせて頂きました。
江戸村の管理人さんがミロクの塔について色々と説明して下さった
ところによると、毎年6月8日午前10時52分にミロクの塔の上に
だけ天から金粉が降って来るとの事でした。今年は京都から来た
ある女性の方に金粉と空から赤い光や色々のたれ幕がタラタラと
降りて来るのが見えたそうです。

1:1:36~1:2:36
神塔(ミロクの塔)が昭和49年7月20日に建って以来毎年
6月8日のこの時間に金粉が降るのには何か意味があるのだろうかと
尋ねてみました。

6月8日午前10時52分

菩薩界の52番目の人を表している

三千 十方の世界

お釈迦様の誕生日4月8日の8日
ここはミロクの神様なのでミロクのロクから6月となっている

との事でした。

1:2:36~1:3:25
私は、その説明を聞きながら、渡辺先生の誕生日は6月8日でありま
すし、10時は「丸に十」潜在意識の入口とも考えられるし、52分は
渡辺先生の光257=527ではないかと心の中で勝手に光に置き
換えて考えていました。
しかし、面白いことにこの説明をして下さった管理人さんは
大正14年3月10日生の843=泉の光だったのです。

平成2年9月24日

桜井XXX

1:3:25~1:6:00
(略) このお聞きになった方、この中に出てくる日付とか光とかにですね、何か接点を感じ取っていらっしゃる方、殆ど例外なくいらっしゃるんですね。それで私もこれ最初、メッセージいただきましてね、実はこういうメッセージというのはですね、一つの本箱一杯になる程。本日只今ですね、自宅に届いている可能性が御座います。何百通できかないくらいになりますね。それで、やっぱり、こういう皆様がですね、ご苦労なさって、これだけのものを作るのは大変ですね?原稿書いてレイアウトしたりですね、写真が御座いました。ワープロ使って、これだけでも大変ですが、その内容はですね、ちょっと、そこに行ってどうの、という内容では御座いませんですね?ところが、この二つのものをですね、K-Rさんの9月17日の体験の内容ですね。これは、私、これまで沢山、何百通といただきながらですね、特にこの二つに注目したのには私なりに理由が御座います。それは、どういうのか?と言いますと、読んでいて大変、心楽しく読めましてね、そして内容が非常に健康であると。それから「光」の「ひ」の字も知らない方に読んで差し上げましてね、大体、何となく解ってくださる内容です。それから、私どものところに参りますレポートがですね、それが、どうしても光の事をやっていて、心の世界に関わりますと、非常に微妙なプライバシーに触れた内容が御座いましてね、それは大変結構な内容で御座いますし、それから参考にもなるんですけれども、それはプライバシーを守るという点でやっぱり発表を差し控えなければならないという事で厳しく分別していきますとね、13年間、色々な方から頂いたお手紙の中に、この2通だけが残ってきたんです。

1:6:00~1:8:9
ある意味。これは何処に行っても誰にお会いしてもですね、楽しく読んでいただける。それから、もう一つ不思議な事にですね、これ、もう何十人と実験済で御座いますから、皆様もそれを早速活用していただきたい。この間も福島のいわきというところに行って参りましてね、Kさんとか熱心な方がいるんですが。光というものに興味を持ってくれる方は幾らでもいます。ある意味で言ったら毎日なんです。ところが興味を持ってくれるんですが説明して、ずっとやっていくと、それで終わりなんです。その方が自ら手を伸ばして、本を読んだり計算法を自分でやるという事を、そういう方を作るのが殆ど不可能です。そういう体験をなさっている方は、ここにも沢山いらっしゃる。私もある時代まではそうだったんですね。今は、もう、そういう悩みは無いですから。ところが、今度は皆様が、2~3時間で今日来た人の人生観を変える事が可能か?というと、可能な方はもちろんいらっしゃいますけれども、不可能な方が多いですね。それじゃあ、これ、どうか?というと読んでいただいただけで変わっていくんです。ここにいらっしゃる方は大体ですね、多少、光の勉強をなさっている方で別に珍しい事を聞いている感じでは無いでしょう?ところが初めて「光」の「ひ」の字も知らない方に、これを読んでいただきますと、いつの間にか自分が今まで知らなかった、しかも、その世界は単純で明快で楽しい世界で、これから離れてしまうと、この世界に自分が乗り遅れてしまうという一種の危機感を感じるんです。

1:8:9~1:11:37
だから、「この計算どうするんですか?」という話が直ぐに出てくる。「何を読んだらいいんですか」?と。それで僕は計算どうするんですか?って教えた事、一度も無いんです。おそろしく手がかからなくなっちゃった。この間、福島参りました時もね、なかなか新しい方が出てこないところなんですが、3人程出てこられましてね。山梨に行った時は極端な事が起こって参りましてね。毎日、毎日、起こっている。それでお願いなのは実はこの原本が静岡のK-Rさんという方で、今朝も電話でお話ししたんですが、この方がですね、「そういう事にお役に立つんでしたら、このコピーは幾らでも差し上げます」と幾らあげてもあれですから、どなたか代表の方がですね、お3方くらい送っていただきましてね、そして、それを皆さんがコピーして分けて。それでお願いなのは、これをコピーしたらですよ、このレポートをコピーしたら一つ私蔵しないでいただきたい。私蔵するというのはどういう事かというと、読んじゃったら、ああ面白い、こんな事あったなんて本箱の中に入れちゃったり引き出しの中に蔵う事です。常に携帯して例えば喫茶店で知り合った方がいたら光の「ひ」の字も言わなくていいから、これちょっと面白いって読んで見せてください。現実に。この間、私が下部というところに参りまして、これも大変なところに行っちゃったんですけれどもね、このお話すると長くなるので結果から申しますとね、東京の方から4人も来てくださいましてね、そして Tさんという、この前、ちょっとお話しましたね?お手紙くださった。その御宅に行ったんです。それでその時に、なかなか伝わらないんですというお話が出まして、いや、そんなの要りません。これを読んでいただければ大丈夫なんですよと。ところが、その時聞いていらっしゃった方は皆んな本当かしら?と思って聞いていた。ところが、それから色々とありまして、その御宅から、ある立派な旅館に参りましてね。そしたら夜の8時頃になったら、光の「ひ」の字も知らないご主人が。それから、そのご主人の。これは面白い地名なんですよ。下部のはだか島という地名なんですね。そこへ参りまして、そこのご主人の幼馴染の方が3人来た。光の「ひ」の字も本当に知らない人。それで高野さんに二つのレポートを読んでいただいたら、そうしましたら、読み終わったら、どういう事になったか?と言ったら、このエフライムの木の作り方を教えてください、という話になっちゃった。

1:11:37~1:13:14
それから、この前、エフライムの木のお話をしましたが、その時いらっしゃらなかった方、手を挙げてください。(略) 
あれからお作りになりましたか?あの一月経ったら何十と打ち込んでいる方、沢山いらっしゃるんですよ、日本中。
で、どうして私、エフライムの木の事も、この頃、声を大きくして申し上げているかというと、今、申し上げましたね、後の方のレポートは桜井さんですね。あのレポートにありましたね?その日に我々をあの山中に連れて行ったタクシーの運転手もちゃんと参加しているんです。それでタクシーの運転手は、その時解らなかったから、今頃、光の勉強、必ずやっています。これは、皆さんがこれを何処かに打ち込みに行く時は、隣のおばさんに、ちょっと面白い事するから一緒に行かない?と誘う感じでも結構です。
これを打ち込んだ方は必ず光に目覚めていくという原理が書いてある。
それが創世記に書いてある物語ですね?この間、2時間かけて皆さんご勉強しましたから。
ちょっとエフライムの木のお話を。Aさんも知らないね?

1:13:14~1:15:36
じゃあ、ここに描いて差し上げます。

こうですね?名前を憶えてください。
こちらがユダの木です。
こちらがヨセフの木です。
そしてヨセフが8支族担当、ユダが4支族担当。「はし」(84)となるのが面白いところです。
そして、ユダの木は「恵」という名前です。
ヨセフの木は「結」と書いてある。
この木は私が発明したのでは無いんですよ。そして、このユダとヨセフを命名してあるのは何処にあるのかというと、エゼキエル書の第37章です。

それから今度は、「結」とか「恵」はゼカリヤ書の第11章にあるんです。読んでください。
そして、こちらが8で、こちらが4で良いというのは、これは古事記、日本の創世記です。日本の創世記の古事記というのはすごく意味があるんだと本日から思っていただければ良いです。

そして、一番最後に創世記に
(ユダの木) イノチノキ
(ヨセフの木) ゼンアクオシルキ   (ゼンアクヲシルキ)
イノチノキ の、「チノキ」は「ノキチ」と読める。
これは創世記です。こういうの皆んな立証されているんですね。

1:15:36~1:17:25
そして、これをお作りになりましたら、こちらが4種族を、後ろが「5番」の人です。後ろが「5」の人は、必ず、この4つの種族のどれかになる。
それから、こちらは 8種族
そして、1が何に相当するか?等は、理論編か開門編に書いてありますから、それと照合して調べてください。そして、これを作りまして、例えば、私はアセル族ですから、「7」に二重丸。自分の後ろのところだけ二重丸。それから、これはちゃんとエゼキエル書に書いてありますね?自分のしか出来ない。自分で作れるものしか出来ない。だから他人の為には作れないんです、これは。
その代わり、誰かが作ったのでやればいいんです。だから他人から貰ったっていいんですよ。但し、私は「1番」のところに2重丸に作ってくれという訳にいかない。解りますね?それから、これは作るのは自分で作るんだけれども打ち込むのは自分で打ち込まなくても構いません。これは面白いですね。だから、打ち込む時は何万人でやったっていいんです。そして、これをボンドでもって向かい合わせにとめて一晩置いていただけるとパッチリとまりますから、それを上の方と下の方。どうしても小槌で打つと破れやすいですから。で、打つのは必ず木槌で打ってください。

1:17:25~1:18:44
これは古事記に書いてあるんです。木槌で打ってください。

木椎

そして、打つ時には心の中で「トトツートト」と唱えて「トトト」で打ってください。
で、これを3回、これ変な表現ですが。(聞き取れない) 
これ、ですから、まず実行してみる事が大切ですね。そして、お箸でね、白いお箸。何でも結構ですが、何処かの神社にいくと白南天の箸が売られていますね。一番最初の文句と関係してくる感じがしますので、白南天で作られる事を皆さんやっておられるようです。別に何でもいいんですね。但し創世記の通りにやると、こっち方はイチジクの木で作って、こっち方は林檎の木で作ると一番理想的だと思っています。それはいつかそういうのでやってみたいと思っています。

1:18:44~1:20:3
それで、よく神社仏閣に参りましてね、拝殿の後ろに回られる時は必ず社殿の真後ろにお打ちになったらよろしいと思います。光というのは必ず前の方に出ないという大原則がございますので、そこのところも心がけていただきたいと思っております。そして私も何回これを皆さんがおやりになるか解りませんけれども、それなりに効果が出てきているようですね。それから、この前、皆さんの周りの光のバリアー、隔壁、これが今、このように、ベルリンの壁みたいになっていたのが、これが、この前にご勉強しましたが、5月28日に壊れちゃった。だから、こういう事が出来るようになったんだと私は思っております。そして、今度は、今やっている事はどういう事かというと光の大戦争が始まっているんですね。

1:20:3~1:22:33
で、光の戦争というのは、どういうのかというと、今、一触即発となっている、あの戦争とは逆です。あれは相手が相手を殺しますと、殺した方が勝ちなんです。光の戦争は相手を殺したら負けですね。
皆さんが毎日、毎日、戦う人。その人は相手を調和させたら、皆さんの勝ちです。これが光の戦いなんです。そして、やはり光の大戦争でですね、これも本当に上手く出来ていると思うんだけれども、物質の世界と丁度逆ですね。物質の世界というのはどうなっていますか?一番最初に人間様同士が戦争する時は武器は何でした?Mさん。「矛ですか?」「矛?」貴方、だいぶ頭が良い。一番最初、人間は手しか無いんです。だから手で戦争したはずですね。だから武器のαは「手」なんです。

「手」α

そして、棒切れを持ったりフォークを持ったり槍を持ったり弓を持ったり鉄砲を持ったり大砲を持ったりして、色々な武器を開発していったけれども、人間は最後にどういう事になりました?たった二発の原子爆弾で、原子核を爆発する事によってですね、

核

戦争、終わっちゃったでしょう?あれ以来大きい戦争は無いです。世界中を巻き込んじゃうような。今度は~が言う事を聞かなくても世界戦争にはならないんですね。だから、我々、光の世界からの立場から見ると、この世界最終戦争、すなわち第二次世界大戦というのは物凄くお手本になるんですね。
そして、光の世界というのは、その逆をやっていくんです。

1:22:33~1:23:55
ですから、この光の戦争が(聞き取れない)になったんですよって、この隔壁がとれちゃった。隔壁がとれたから、これ、原子爆弾二発で終わっちゃったでしょう?だから光の世界ではαとωしか無いんですね。
αは何ですか?「手」ですね?
ωは何ですか? 光の核爆弾2発
これ、現実の世界でも核爆弾2発で終わっちゃったんだ。光の世界もそっちの方で終わってくる。
そして、核爆弾2発の一発目が何時爆発しちゃったかというと、今年の8月27日に爆発したんですね。

528
827

そして、今、レポートをメモしながらお聞きになった方は、あれ、何処かで見たようだな?と宇宙暦で見ると8月27日というのと7月28日は同質同根のものだと解って参りますね?
そうすると最初のレポート、振り返ってみると、あれはどうですか? K-Rさんという方が17歳の時に、あの場所に到着したのは 7月28日だと書いてある。あれは大変不思議なレポートだなと私思っています。


1:23:55~1:24:59
それじゃあ、二発目は何時かというと、9月15日。

528
827
915

これは宇宙暦から割り出されてくる日付なんですが、12月にそのお話をしなくちゃいけないと思っております。資料もあちこちからだいぶ集まってきております。そして2発目は、ここで爆発しちゃうんです。そうすると、また思い出してください、二つ目のレポート。神の塔(ミロクの塔)というところに行った時の日付は今年の9月15日。連動している、あちこち。
今年の9月15日にですね、色々なところで色々な方が色々な体験をなさっている。あまりにも数が多いから一々レポートもいただいていない。8月27日もそうです。よろしいですね?

1:24:59~1:32:48
そうすると、こういうものが一体、どういう暦の上で展開しているのかというと、宇宙暦という暦の上で展開しているんですね。ですから、宇宙暦というのをいっぺんに色々な事を勉強するというと、嫌がられちゃうから、少しずつ今日も宇宙暦を一歩進んで勉強してみたいと思います。
で、今日も宇宙暦通りの方が来るんです。これ不思議です。だから解ってくれたようです。
それで、まず、この宇宙暦と創世記というものがお互いに相補うものだと。これも、どうも今まで私、悪い癖で、単純明快に結果だけ言いますとね、どうもピンと来ていない方がいるらしいんですね。だから届いたものをキチンと読んだ方がよろしい感じがする。だから、まず読んでみましょう。創世記のどういうところと同じかというと。
そうすると、この創世記の第6章のノアの方舟のところ、今日はちょっと私、そこのところだけ読まないで、読んで行きます。第6章

《人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。
ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。 ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。
時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。 神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。 そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。 あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。 その造り方は次のとおりである。すなわち箱舟の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトとし、 箱舟に屋根を造り、上へ一キュビトにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、一階と二階と三階のある箱舟を造りなさい。 わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。 ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。 またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二つずつを箱舟に入れて、あなたと共にその命を保たせなさい。それらは雄と雌とでなければならない。 すなわち、鳥はその種類にしたがい獣はその種類にしたがい、また地のすべての這うものも、その種類にしたがって、それぞれ二つずつ、あなたのところに入れて、命を保たせなさい。》

これで2が(聞き取れない)出てくるんですね。

《また、すべての食物となるものをとって、あなたのところにたくわえ、あなたとこれらのものとの食物としなさい」。 ノアはすべて神の命じられたようにした。》

第7章
《主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。 あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り》

って、これ「729」の宇宙暦のホシの数の和がここで出てくるんですね。

《清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ》

「72」って出てきちゃう。

《ずつ取り、 また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。 七日の後、》

って、また「7」が出てくるんですね。

729

《七日の後、わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります」。 ノアはすべて主が命じられたようにした。さて洪水が地に起った時、ノアは六百歳であった。 ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった。 また清い獣と、清くない獣と、鳥と、地に這うすべてのものとの、 雄と雌とが、二つずつノアのもとにきて、神がノアに命じられたように箱舟にはいった。 こうして七日の後、洪水が地に起った。
それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、 雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。》
さあ、ここで、1月生まれの方、手をあげてください。
その方は自分の枠のところに幾つ窓が開いているか勘定してください。あとで聞きますね。


1:32:48~1:37:8
2月生まれの方は2月のところですね。
3月生まれの方、いらっしゃいませんか?それじゃあ、12月生まれの方は?その方は3枠の窓を計算してください。
4月生まれの方、お願いいたします。
5月生まれの方
6月生まれの方
7月生まれの方
8月生まれの方、いませんか?それじゃあ、自分の光の中に「8」を持っている方、手を挙げてください。その方が8月のところを計算してくださいね。
9月生まれの方
はい、じゃあ、皆、揃いましたね?

1  25
2  25
3  25
4  25
5  25
6  25
7  25
8  25
9  17

25の8倍は200、それに17足したら、こうなりますね?
「217」
2月17日って出てくるんですよ。

1:37:8~1:39:19
これをいきなりね、「窓の数、2月17日です」って私が話している間は、皆、ピンと来ないんです。
だから、わざわざ、勘定してもらおうと思った。宇宙暦というのは実際に科学的に解ってきた事です。
ここで今、お読みした文章は少なくとも5000年くらい前に成立している文章です。
そこに書かれている。しかも、世界中には何兆というキリスト教信者がいる。実は旧約聖書とはユダヤ教と。ユダヤ教というのは旧約聖書とタルムードを聖典としている宗教ですね。キリスト教というのは旧約聖書と新約聖書を聖典としている。イスラム教徒は旧約聖書とコーランを聖典としている。
すなわち旧約聖書というのは人類の中で一番普遍的に聖典とされているものなのですね。
しかし、その世界中の人がですね、何故、神様が2月17日を選んで雨を振り出さしたか?というのを誰も知らない。
ある意味で言ったら、ここにいらっしゃる方、他にもいらっしゃる、他でも同じ話をしている。
さあ、貴方、何故、2月17日、神が。
それでは今度は、宇宙暦は、こうなっています。

123
456
789

創世記はαですから、1と9
ωはヨハネの黙示録です。

 23
456
78

神様は自ら言っているんだから、そこに鍵がある。

1:39:19~1:42:19
αでありωである。だから、それを何かして観る。問いかけに答えてみる。
そうすると、今度は宇宙暦全体のホシの数がある。

729

ωは既に消しちゃった

72

あと残ってくるのは「2」と「7」だね。だから、これも消してみる。

  3
456
 8

残るのは

3
4
5
6
8

はい、Yさん、3月の地球のところだけ開いている窓を勘定してごらんなさい。
雨は地球の上に降ってきたんですよ。

3  8
4  8
5  8
6  8
8  8

そしたら、これを足したら幾つになりますか?「40」。5X 8 = 40

さあ、もう一度、創世記を読みますよ。

《それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓》
と書いてある。地球に通じている天の窓が開けて、
《雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。》って書いてある。

1:42:19~1:44:3
私、これ、非常に不思議な感じがして、どうして、こんな事が今頃になって解ってきたのか?
もう一度、手品みたいな事をしますが、これからは手品であって真実ではないですよ。ここまでは、真実。
いいですか? 天の窓に40日40夜加えてごらんなさい。

217
  40
------
257

217 + 40 = 257

だから先程、Hさんがお読みくださいましたように、皆、こういう事に繋がっているんです。だから先程言ったような事が起こってくるんです。だと私思っています。
皆さんも「窓」という事を真剣に見つめてみてください。
こうなってくると同じ40日でも違ってくるね?
いきなり、こういう事を沢山行いますと、皆、そっちばっかりになるので、少しずつ進めて参りましょう。

1:44:3~1:49:14
それで、こういう事を、今は数が少ないようですけれども、これは真実です。宇宙暦が何千枚と世の中に流布されている。旧約聖書は何兆でしょう?何億です。旧約聖書が初めて印刷された一千五百何年というところから考えたって約500年近く。450年経っています。どれだけ地球上に流布されているかわかりません。
これは抹殺する事は出来ません。今、これはここだけの話では無いんです。世界全体の話です。
そうするとニュートンが力学の法則を発見してからニュートンは宣伝も何もしていません。
しかしニュートンの力学の法則を取り入れて。教育に取り入れない国は必ず滅びちゃう。
アインシュタインが相対性理論という真実を発見いたしました。
発明したんじゃないんですね、発見です。
そうしましたら私の頃は相対性理論というのは訳のわからないものという代名詞になっている。
この頃では小学生が使っている。しかも今の小学生の理解の仕方は私共の小学生の頃の学校の物理学の教授よりも理解されている可能性があるんですね。それだけモチーフになっちゃっている。
そうしますと、今、皆様がご勉強なさった事は真実ですから、これは私が何もしなくても、これは地球上から抹殺出来ません。創世記のこの始まりの重要な2月17日と40日というのは宇宙暦から割り出されている数字と、寸分違わなくて一致している。
そうしますと、それを知っているのは本当にこの地球上に一握りの人です。
この前お話したようにマルクスが1818年の5月5日に生まれて「911」となりますね?
その「911」だって宇宙暦でちゃんと割り出されてくるんですけれども、それは少しずつご勉強して行きましょう。だから、ああいう事が起こっていくんだと私は思っている。
そしてマルクスが生まれた瞬間にベルリンの壁が敗れた日もちゃんとそれから割り出されてくる。
そうすると何となく私は「光」というものを興味本位で勉強していくという事は大変な間違いだと思っています。私自体が興味なんか持っていないです。もっと、これを1日も早く、但し大きな声をあげて宣伝したりするんじゃなくて、人と人との触れ合いによって調和を伝えていく。
今、我々がやっている「光の調和法」というものは、どんなものでバックアップされているかという、これは一つの証左だと思っています。
そして、先程、消してしまいましたけれども、次回は12月はですね、全国(聞き取れない)の日付というのはどういう経緯で起こってきたかというお話をするつもりでおります。

 
© 2022 Nokichi Miki 


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