始まりが「チークを踊ろう」だった。この曲は私も好きな曲。拓郎さんの曲はポップな感じというのは私が若い頃思っていた事。今回も拓郎さんのルーツを思い出す回。拓郎さんがワイルドワンズが好きだという事は初めて知った。さだまさしさんについては以前から聞いた事はあるが、詳しく聞くのは初めて。
メモ
「チークを踊ろう」
何故、かけたかというと聴きたくなった。ポップな曲、フォークではない、新しいポップス(当時)
実はエレキギターはあまり使っていない
拓郎さんの音楽の基本形はフォーク系の事をやりつつも、ポップス、リズム&ブルース、ポピュラーミュージック
「伽草子」の「からっ風のブルース」はファンキーな曲だが和製フォークから入ってきた人には通じなかった
日本の70年代の和製フォークから入って来た人に、もっと他の音楽を聴いてほしかった
音楽は弾き語りもやるし、リズム&ブルースもやるし、ファンキーな曲もやるのが良い
「チークを踊ろう」が拓郎さんの音楽の原点
チークを踊ろう
イントロ、アウトロ
最近のポップスはイントロ、アウトロがさっぱりしていて、それも時代の流行り
拓郎さんはイントロ、間奏、アウトロに手を掛けていた。バンドのセッションを楽しむ
沢田研二さんの事。拓郎さんとはメル友
谷山小学校の話。宮崎先生
生きている現在が大事
拓郎さん曰く、あちらに旅立った後は、吉田拓郎記念館とかは作らせないし、追悼番組もやらせない
中国文化賞が嬉しかった
拓郎さんはマンションの理事をされているとの事。色々な事に気づく時間
「今日までそして明日から」
この時代でも生きている事実について感激の気持ちが隠せない
この曲を作らせた何か?があるかというと無い
天が書かせた曲
ラジオでフルにかけた記憶が無い
2014年ライブの「今日までそして明日から」
吉田拓郎 LIVE 2014 (Blu-ray Disc+CD2枚組) (初回限定盤)
拓郎さんが影響を受けた音楽の話等
70年代に拓郎さんが出て来て日本の音楽シーンが変わって来たと言われている。LPで勝負する時代。テレビで1曲ではなくて、少なくとも、5〜6曲。歌の世界を理解してもらう時代。コンサートツアーも拓郎さんが初めてやった事になっている。だが、拓郎さんも先輩からの影響を受けていた。
60年代〜。広島で大学生の頃、ザ・フォーク・クルセダーズ。加藤和彦の先見の明、音楽センス
「悲しくてやりきれない」
悲しくてやりきれない
(23:00 佳代さんが加湿器の話)
拓郎さんは、はしだのりひこを評価している。はしだのりひこは色々なグループを作ってヒットを飛ばしていた。
「風」シューベルツ
「花嫁」クライマックス
風
花嫁
60年代、ビートルズの影響でグループサウンズ。拓郎さんが好きなのはザ・ワイルドワンズ。「思い出の渚」は歴史の残る名曲
想い出の渚
音楽というのは伝承されていくもの
拓郎さんは、さだまさしのアルバムは聴いた事は無いが評価していて、若い人もおそらく影響を受けている、さだまさしは才能があるとの事
雲仙普賢岳(泉谷しげる主催)の時の話
「雨宿り」
雨やどり
すぎやまこういち作曲の「学生街の喫茶店」
学生街の喫茶店
ラストアルバムの話
デモテープがラジオで流れるが、Youtubeに載せるなとの事
「煙が目にしみる」プラターズ
煙が目にしみる