- FODで視聴
- 原作 (9巻 77〜79話、10巻 80話の途中まで)に相当
TV 鬼滅の刃 遊郭編 3 完全生産限定版
【コミック】鬼滅の刃(9)
【コミック】鬼滅の刃(10)
【主題歌】TV 鬼滅の刃 遊郭編 主題歌「残響散歌/朝が来る」/Aimer 期間生産限定盤
読書、アニメ、漫画、音楽のメモ・感想、プログラミング のメモ等
KinKi Kids、篠原ともえについてのお話と飯田久彦さんについてのお話が聞けてよかった。
一年を振り返るような話。人間の非力さを思い知らされた1年。同時にまだまだ色々な事を考えたり、工夫したり、学んだり、勉強したり、そうしなきゃいけない事が山程あるという事に気が付く事が沢山在った。この星、地球に甘え過ぎていたような気がする。文明、進化で傲り高ぶり。自分の中には驕り高ぶりが見えてきた。反省すべきところは反省し正すべき事は正し、その上で希望の明日、明るい明日を迎えるべくして、穏やかな自分と穏やかな社会を描いて生きていけるような。半歩で良いから、前に進んで行こうじゃないかという気分を新たにしている、というお話。
ラストアルバムの話。
今日のオープニングの1曲。60年代にオールアメリカになろうじゃないかという思いが込められている歌。現在、この曲を聴くと心が熱くなって、熱いものが出てくる。心の中にこういうものを持ちたい。今、この時代でも、この曲。折角、この世に生を受け一度きりの人生というのを全世界で皆んなで送っているわけだから、この曲。ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。
「両国橋」は70年代中頃、東映の映画でデビューした松平純子さん。詩は誰が書いたか考えず曲を付けていた。詩は当時の喜多条 忠らしい、面白い設計(そこで恋をするのは良くない)。アレンジは「LIVE ’73」のステージの時のジャズサックス奏者の村岡 建さん。村岡さんのブラスアレンジが「LIVE’73」でも完璧にファンクな感じ、ソウルな感じを醸し出している。その村岡さんが「両国橋」をアレンジした。ところが当時はまだブラス・ロックという日本ではなく、松平純子さんが歌う曲は、どちらかというと一般的に言う歌謡曲という感じ。ところが村岡さんがブラス・ロックのアレンジをしたので、カッコイイが時代的に誰にも解ってもらえない、先端を行く歌謡曲になってしまっている。今、聴くと、この時代にこれは凄いアレンジ。曲も拓郎さんは気に入っている。たぶん、拓郎さんと喜多条さんの処女作。曲「両国橋」
(由紀さおりさんの「両国橋」はカヴァー)
菅田将暉さんの話。遠い存在でも無いような何かのご縁があるような。。ニッポン放送で「ラジオでナイト」と菅田将暉さんのオールナイトニッポンの共同記者会見があった。拓郎さんの第一印象は素敵な若者。その後で「LOVE LOVE あいしてる」の時に菅田さんがお父さんを連れて来た。女優の奈緒さんのお母さんが拓郎さんに関心があって、その影響で奈緒さんの応援歌は「今日までそして明日から」。親達の息子や娘と知り合う事になって人生は不思議の連続。
小田和正さんのお話。
新曲のデモ音源の話。曲名は「雨の中で歌った」。アメリカの50年代、60年代のソウルミュージックをルーツにして曲を作った。拓郎さんは広島のアマチュア時代には、この感じの曲をよく演奏していた。若いという事に理由は無い。若い時は理由なんて考えないで行動している。そう言えば若い時に意味の無い行動だけれども一緒に走ったりしたよね?という事を思い出して、雨の中、一人であの日の事を思い出している。
自分でも信じられないくらい言葉とメロディーが浮かんでくる、パソコンに向かうとアレンジのアイデアが浮かんでくるという話。
今月は「ショルダーバッグの秘密」という曲のデモテープ(音源はネットに載せないようにとの事)。どういう曲かというと…. という話。カッコいいロックンロール。曲「ショルダーバッグの秘密」
ラストアルバムの話から。
KinKi Kidsのお話。拓郎さんはKinKi Kidsと出会ったのは50歳。その頃、拓郎さんはお酒を飲む時に、あまり食べなかったのだが、焼肉屋でKinKi Kidsの二人が拓郎さんのお皿に焼肉をのせてくれた「たべなはれ、あきまへんがな」。あの行動に拓郎さんの心は完璧にダウンした。10代の若者に心を揺さぶられた、焼肉屋で。しかも焼肉で。KinKi Kidsの素直な行動に拓郎さんは心を打たれた。堂本剛さんについては10代なのに周りに対して目が届いている、いつもさりげなく気を利かせるという行動が拓郎さんの目に印象的に映っていたとの事。また、堂本剛さんについて作詞の世界に入ってみると面白いかもしれないと拓郎さんは思っていたとの事。
11:00、佳代さんの声
光一さんは社交性があった。剛さんは輪の中に入って来なくて、少し側にいて、距離感を大事にしていた。光一さんは意外な感じで美形だが行動的で男らしい。光一は自然にいようとする感じ。激しさを持っている。
拓郎さんは50歳でKinKi Kidsと知り合った瞬間から、人生がもう一度、別の扉を開けてくれたと思っている、あの二人と出会っていなかったら、というのは想像するのが怖いくらい、との事。
曲「全部だきしめて」(KinKi Kids)
奈緒さんのお話から女優さんのお話。拓郎さんと長い付き合いの某有名男優が「女優というのは一つの生き物で、世の中には男と女と、もう一つ、女優という生き物が存在する、女優というのは独特の世界観を持っている」と言っていたとの事。女優さんは独特の自分なりのポジションを持っていて、これが強烈なインパクトを感じる事がある。撮影現場は過酷なところで女優さんは逞しくてタフとの事。奈緒さんは忙しい女優さん…。奈緒さんのイメージをこの曲で表現すると
「Billie Jean」(マイケル・ジャクソン)
篠原ともえさんのお話。「LOVE LOVE あいしてる」の時のお話。カメラの前ではシノラーというのを演じているんだけれども頭の回転が早くて目的に向かって進む時に実に賢い方法を篠原さんなりに選んでいるというのが段々、見えてきた、との事。今は篠原ともえはデザイナーとして独り立ちして活躍中。「LOVE LOVE あいしてる」の頃のハワイでの思い出の事を篠原さんが詞にした曲。
曲「僕が大好きな場所」
拓郎さんがフォーライフレコード退社後、拓郎さんの全音楽人生をサポートされたプロデューサーの飯田久彦さんのお話。フォーライフレコードに見切りを付けた時に飯田さんがビクターを退社してテイチクインペリアルの社長になるというニュースがあった。飯田久彦さんは拓郎さんが広島の頃にテレビで見ていた人気歌手でデル・シャノンの「悲しき街角」を日本語でカヴァーしてヒットさせていた。飯田久彦さんがレコード会社の社長になるという話を聞いて拓郎さんは連絡してみたくなった(拓郎さんもフォーライフになった事がある)。拓郎さんと飯田さんがお話しているうちに、飯田さんが人気歌手だった頃の雰囲気が残っていると拓郎さんが感じ、インペリアルに入社。飯田さんがエイベックスに移った時に拓郎さんも移籍した。飯田さんは昔、チャコと呼ばれていて、チャコと一緒に音楽人生を全うしようと拓郎さんは考えたと思う、との事。
曲「悲しき街角」(飯田久彦)
北欧のスウェーデンに古くから伝わる言い伝えで「常に未来に備えるべし、そして、備えというのは己を簡素にする事である。」というお話。
曲「天使のささやき」(スリー・ディグリーズ)
11月29日は「鬼滅の刃」の風柱 不死川実弥さんのお誕生日です。
お誕生日おめでとうございます。
119ページにアクエンアテンの「アトン賛歌」が載っていたので、以前入手した本。長らく積読状態だったのだが、少しずつ読み始めている。
錬金術師 フルカネリの「大聖堂の秘密」が電子書籍になっていた。
ノートルダム大聖堂には錬金術的な象徴が満ちているのだが、それについて解説している本。
時々、パラパラと捲ったり、拾い読みしている。
始まりが「チークを踊ろう」だった。この曲は私も好きな曲。拓郎さんの曲はポップな感じというのは私が若い頃思っていた事。今回も拓郎さんのルーツを思い出す回。拓郎さんがワイルドワンズが好きだという事は初めて知った。さだまさしさんについては以前から聞いた事はあるが、詳しく聞くのは初めて。
何故、かけたかというと聴きたくなった。ポップな曲、フォークではない、新しいポップス(当時)
実はエレキギターはあまり使っていない
拓郎さんの音楽の基本形はフォーク系の事をやりつつも、ポップス、リズム&ブルース、ポピュラーミュージック
「伽草子」の「からっ風のブルース」はファンキーな曲だが和製フォークから入ってきた人には通じなかった
日本の70年代の和製フォークから入って来た人に、もっと他の音楽を聴いてほしかった
音楽は弾き語りもやるし、リズム&ブルースもやるし、ファンキーな曲もやるのが良い
「チークを踊ろう」が拓郎さんの音楽の原点
最近のポップスはイントロ、アウトロがさっぱりしていて、それも時代の流行り
拓郎さんはイントロ、間奏、アウトロに手を掛けていた。バンドのセッションを楽しむ
沢田研二さんの事。拓郎さんとはメル友
谷山小学校の話。宮崎先生
拓郎さん曰く、あちらに旅立った後は、吉田拓郎記念館とかは作らせないし、追悼番組もやらせない
中国文化賞が嬉しかった
拓郎さんはマンションの理事をされているとの事。色々な事に気づく時間
この時代でも生きている事実について感激の気持ちが隠せない
この曲を作らせた何か?があるかというと無い
天が書かせた曲
ラジオでフルにかけた記憶が無い
2014年ライブの「今日までそして明日から」
70年代に拓郎さんが出て来て日本の音楽シーンが変わって来たと言われている。LPで勝負する時代。テレビで1曲ではなくて、少なくとも、5〜6曲。歌の世界を理解してもらう時代。コンサートツアーも拓郎さんが初めてやった事になっている。だが、拓郎さんも先輩からの影響を受けていた。
60年代〜。広島で大学生の頃、ザ・フォーク・クルセダーズ。加藤和彦の先見の明、音楽センス
「悲しくてやりきれない」
(23:00 佳代さんが加湿器の話)
拓郎さんは、はしだのりひこを評価している。はしだのりひこは色々なグループを作ってヒットを飛ばしていた。
「風」シューベルツ
「花嫁」クライマックス
60年代、ビートルズの影響でグループサウンズ。拓郎さんが好きなのはザ・ワイルドワンズ。「思い出の渚」は歴史の残る名曲
音楽というのは伝承されていくもの
拓郎さんは、さだまさしのアルバムは聴いた事は無いが評価していて、若い人もおそらく影響を受けている、さだまさしは才能があるとの事
雲仙普賢岳(泉谷しげる主催)の時の話
「雨宿り」
すぎやまこういち作曲の「学生街の喫茶店」
デモテープがラジオで流れるが、Youtubeに載せるなとの事
「煙が目にしみる」プラターズ