来月からはニッポン放送のスタジオで収録。今回が最後の宅録。個人的には女性作詞家についてのお話が聞けて良かった。
メモ
cdジャケットの題字は堂本光一さん。実は字が上手いのでは?字の持つインパクト、輝き、それはこの字以外はダメだと拓郎さんは感じるようになって、光一さんに題字をお願いしたのは大正解。光一さんの愛情を感じる。能ある鷹は爪を隠す。
今回は曲もメロディーも作詞も打ち込みの機材に向かうとスラスラスラと頭に浮かぶ。今までは普通、悩んだりして詞を書いたりメロディーを作ったりしていたのだけれども、今回はグングン頭に浮かんでくる。以前、竹内まりやさんが「曲が降りてくる感覚がありますよね?」と仰っていたのだが、今回は全曲降りて来たという感覚。全てが拓郎さんを取り巻く環境、贅肉とか無駄な気遣いとか、それらを全て整理した人生を送っているので、そういう事をすると寂しい人生になるのではないかと、という心配事が多少はあったような気がするのだが、拓郎さんの場合は整理した事によって心が逆に豊かになって、そういう気分がとてもハッピーで、クリアーで、青い空のような気分になった。そういう状況の拓郎さんを Kinki Kidsや、奈緒さんや、小田和正さん達が、皆んなが心を開いて受け止めてくれて、協力をしてくれた。音作りの方では、ギターの鳥山さんや、キーボードの武部さんが全力で取り組んで、これまでとは違うアプローチで、拓郎さんの作りたい音楽というのを、バンドセッションの時と違って、沢山のデモテープを武部さんや鳥山さんに聞かせて、武部さん達が今までと違うアプローチをしてくれた。リモートだが沢山注文を出した。それに対して武部さんや鳥山さんが非常に真摯に取り組んでくれたという結果もあると拓郎さんは思っている。そういう、あらゆる事を現在の拓郎さんを愛が沢山、そういうのを受け止めてくれた、その結果と言うしかない。本当にありがとうという気持ちが拓郎さんの心の中にある。
フォークソングが初期の頃、松山市民会館で拓郎さんがステージでリハーサル中に、拓郎さんの愛用のマーチンのD-35が楽屋から盗難に遭って、小野和子さんのギターを借りて拓郎さんはステージに上がった。
拓郎さんが緊張を解くのに歌う曲は「骨まで愛して」
1曲目「アウトロ」拓郎さんのシャウトが入っている曲。
作詞の話。安井かずみさんは「気がつかないうちに男の人は男目線というを作り上げているから、それは私はとても気に入らない」と仰っていた。女性から違う視点で書いてもらう曲も拓郎さんは逆にハッピーになれるという事で阿木耀子さん作詞の「とんとご無沙汰」、「春だったね」はアマチュアの田口淑子さん。「春だったね」は深夜放送に頂いた葉書に詞が書いてあって、それに拓郎さんは曲を付けた。「せんこう花火」は古屋信子さん。これも葉書に書いてあった詞に拓郎さんがメロディーを付けた。この2曲は歴史的な存在になっている。女性目線のとても素敵な曲。
プロの作詞家 白石ありすさん。「御伽草子」。白石ありすさんは流行歌、歌謡曲という作風であると拓郎さんは当時から思っていた。ただ、ありすさんを取り巻く環境はフォークソングファンが多かった。「素敵なのは夜」。「ソファーのくぼみ」8分の6拍子。東京キッドブラザーズ、テレサ野田さん。
それから月日が流れてキャンディーズ派?ピンクレディー派?という時代、拓郎さんはキャンディーズ派だった。ピンクレディーはオールナイトニッポンに一度だけゲストで来た。拓郎さんは増田恵子さんのアキーボイスが良いと思っていた。時代が流れて、増田惠子さんがソロアルバムを出した時に「ソファーのくぼみ」を吹き込んでいたのを拓郎さんが聞いて、惠子さんにピッタリな曲だと解った。
2曲目「ソファーのくぼみ」増田恵子さん
拓郎さんは広島で学生時代、リズム&ブルースのバンド、ダウンタウンズというのをやっていた。同時にその頃、フォークソングが流行り始めて、広島フォーク村にも入っていた。実際には拓郎さんは、フォークソングというのが何なのか?何故、フォークと言うのか?というのは全然勉強もしなかったし、勉強しようとも思っていなかったので、解らないままで、こういうのが良いのならという事で弾き語りをやってボブ・ディランの物真似とかはやっていた。拓郎さんはボブ・ディランへの強い憧れはあったが、ディランのプロテストソングという傾向にはまだ辿り着けていなかったし、やる気もその頃は毛頭ない訳で、自分で弾き語り用のラブソング等を作って、ロックバンドの知名度が広島であったので、拓郎さんが弾き語りでフォークとして弾き語りを見せたりすると、それなりに広島ではウケていた。ただ、一緒にロックバンドをやっていた Mさんは拓郎さんがフォークのような感じ、広島フォーク村に入っていたりする事を良く思っていなかったという事を拓郎さんは感触として受け止めていた。後で聞いた話では、Mさんはフォークソングのブームも好きではなかったし、フォークソングというもの自体に興味がなかったらしく、Mさんは黒人のソウルミュージックを愛していたので、拓郎さんのコンサートにも足を運ばなかった。でも拓郎さんはMさんの気持ちはよく解る。でも、拓郎さんはフォークソングブームが大学生を中心にキャンパスに広がっていて、女の子達がどちらかというと渋めのリズム&ブルースより分かりやすい入門しやすいフォークソングに集まる気持ちもブームとしては解る気がする。拓郎さんはリズム&ブルースとフォークソングを上手く使い分けていた。その頃に拓郎さんが弾き語りのコンサート、ギター一本の弾き語りのコンサートをやったライブ音源が拓郎さんの勉強部屋から出てくる。渋谷のジャンジャン等。
3曲目「雨」(広島でのライブ音源)
篠原ともえさんが革の着物で国際広告賞を受賞した話から。「LOVELOVEあいしてる」という番組から、こういう現在を想定していたのだろうか? Kinki Kidsの現在のような成長を見せている事実、篠原ともえの今回の快挙。あの時にこういう事を想定した人がいたのだろうか?「LOVE LOVE あいしている」は奇跡みたいな事を生んでいる。
2019年のライブツアー。完成度は文句無し。ツアーの最終回は神田共立講堂でのステージ。その時の音源から。
4曲目「わたしの首領」
テイチク・インペリアルレコードの頃、レコーディングスタッフにとてもユニークな男性がいて、若い頃は痩せていて格好良かったが、拓郎さんと出会った時は若い頃のかけらも残っていなくて、この方が若い頃の自慢話をする。若い頃のモテた話を語る。その人をモデルにした曲。曲は格好良い。ご実家はお寺。風の便りには現在はお坊さん?
4曲目「Ossan」
飲酒という行為は神の行為だったという説がある。つまり共同体という集団をまとめる為にお酒という行為を利用していた。お酒は集団で飲むもの。集団で飲む事によって神様も人も皆んなで飲み交わす行為、そこで人心も神様も一つになる、という事があったという話。ところが時が流れてお酒が神様というポジションから離れていって平凡な民達に日常の好きな場面で好きなように飲むという事に変わっていって、お酒というものが自由に進化していく。お酒は集団から一人に変化していった。お酒は一人一人の日常に浸透していく。そういう社会が誕生していく。それが現代社会に繋がっていく。拓郎さんは一人飲みが嫌いだった。コンサートツアーで全国で夜の街を体験出来る。旅そのものの楽しさ。コンサートが終わって現地の若者と和気藹々になってやっていた。今までの芸能界では考えられなかった。古いしきたりを打ち破って、もっとフレンドリーで良いのでは?という拓郎さんの意思表示だった。ある事件をきっかけとなってガードが固くなる方向が戻ってしまった。(ツアーに纏わる楽しいお話)。岩手の夜の思い出。
5曲目「雪」
(略)「ah-面白かった」についてのお話
6曲目「ah-面白かった」
ソクラテスの「無知の知」のお話。
7曲目「今夜はビート・イット」(マイケル・ジャクソン)
ah-面白かった(アナログ盤) [Analog]ah-面白かった(CD+DVD)
ah-面白かった(CD)