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吉田拓郎オールナイトニッポンGOLD20221216メモ

今回は最終回…

メモ

「Live at WANGAN STUDIO 2022」のお話。1曲目からロックンロールをやっているのにストリングスが入っている。この日の演奏は殆どがテイクワン、テイクツー。

音楽活動の原点。高校の頃から作詞活動はしていた。この頃の音楽状況は拓郎さんはアメリカン・ポップスを米軍の岩国の放送で聞いていた。日本は全体的には演歌が主流。若い歌手も日本の演歌の流れ。その影響も拓郎さんの身体は受け付ている…。大学時代はビートルズ。拓郎さんも大学に進んだらロックバンドを結成して、リーダーの Mさんがリズム&ブルース、ファンクミュージックというのを教えてくれた。この時に拓郎さんはアメリカンポップス、リズム&ブルースが好きだという事を決定した。ボブ・ディランの詩の世界からの影響を受ける。ボブ・ディランの詩の世界のルーツは、世代的なものの考え方の違い、今の大人達は信用できない。今は俺たち若者の時代が来ているのに大人が言うところの常識だとか大人が持ってくる、押し付けるようなこれまでの決まり事等は俺たちには通用しないんだ。そういう古い慣習から脱皮しよう。俺達は俺達で新しい道を進もうという事を拓郎さんはボブ・ディランから教わった。こういう古い考え方とさよならしよう。自分達は自分達なりに生きていこうという気持ちを日本語で書くようになって、その曲調としてはリズム・ブルース、詞はボブ・ディラン風、時代は変わるというのを広島で演奏していたが、だんだんフォーク・ブームというのが広がって学生達が日本でもブラザーズ・フォーとかキングストン・トリオとかピータ・ポール&マリー等をキャンパスでみんながコピーするようになってきた。フォーク・グループというのが沢山、日本で流行ったのだが、拓郎さんはフォーク・グループというのを作る気にはなれなくて、やっぱり、エレキギターでロックグループの方が楽しい、演奏するんだったら、リズム&ブルースが楽しい。歌詞は自分で曲を作るんだったらボブ・ディラン風にしたいという、当時としてはポピュラーではない、流行らないかもしれないし、これを応援してくれる人は少なかった…広島では。拓郎さんが東京に出てきて歌っていたのは…「青春の詩」…世代的な葛藤、大人たちとは 違うんだ…大人たちがあと30年生きるなら、俺達はあと50年生きるのだから、何か自由にやろうというテーマがこの歌の中にも入っていた。拓郎さんのデビュー曲はエレック・レコード。「イメージの詩」と「マークII」という曲をシングルカットで出す。「イメージの詩」がメインになっている。拓郎さんは「イメージの詩」だと思われているのだが…。ある時、歌謡曲の番組にゲストで新人として出演して…、世代の違いを感じて。そういった意味では拓郎さんの始まりの曲は、テーマは世代間の問題ではないかという気がしてきて…。「マークII」という曲を皆、忘れている。”歳老いた男が…” これは何…。これは若い男と女が歳老いた人達から恋愛関係を解ってもらえなかったという悲しさを歌にした歌。いずれ、歌っている拓郎さんも「マークII」の主人公達もまた何時か大人になってしまうんだな…という事を既にこの「マークII」で歌っている。拓郎さんが言いたい事は「マークII」。

1曲目は「マークII」(LIVE73)

拓郎さんが東京で初めてラジオに出演したのは、ラジオ関東、1970年? ラジオ関東からよく声がかかった。ラジオ関東の放送局で加藤和彦と初めて知り合う(対談)。

CBSソニーに移籍した頃、TBSラジオからオファー。パックイン・ミュージック。これが深夜放送の始まり。ある日、アントニオ猪木さんが突然来た。

ニッポン放送。1971年、バイタリス・フォークビレッジ。ある日、デビューする前の中島みゆきさんが…

オールナイト・ニッポンは 1974年頃。この頃、拓郎さんは日本のメディア、マスコミ、特に雑誌系と犬猿の仲…。その頃、拓郎さんの家庭の問題を番組の最終回で…。

文化放送。セイ・ヤング。事務所の人間をラジオ番組のレギュラーにして…

1980年頃、再び「オールナイト・ニッポン」。

拓郎さんはラジオが好きだった…。

2曲目「ショルダーバッグの秘密」(WANGAN STUDIO 2022)

ボブ・ディランの「セルフ・ポートレイト」拓郎さんの一番好きなアルバム。「ぷらいべえと」は「セルフ・ポートレイト」からの影響。

歌謡曲、演歌からの影響。マイナーな曲は苦手。演歌調の曲は憶えている。

3曲目「いつでも夢を」

人間は、一人一人が同じように見えるが、各々 違う感覚、オリジナリティーというのを持っている。一人一人、それぞれがテンポ感を持っている、一人一人は違う。

… (徒党を組んだ頃の話) …

基本的のお互いのテンポとかスピード、生き方、暮らし方は絶対に相いれない、それを理解する訳にはいかないという現実があるのだけれども、その、あることを、肝に命じて、心の中にとどめながら、時には肩を組んだり友達と仲良くしたりという事があるのではないかと。その時に個々オリジナリティーがちゃんとしていないとマズイなという事を学んだ。最近のネット社会では共有という事に縛られているのでは…関わりあわない素敵な関係、お互いのオリジナリティーを尊重したいといったお話。

4曲目「君のスピードで」

最近の音楽には、イントロ、間奏、エンディングというのがあまり無く、そこは必要じゃない時代…? ギターソロとかサックスソロとかが無く歌ばっかり…。もっと演奏を楽しんでほしい…。

ボブ・ディランの 「Don’t Think Twice, It’s All Right」。ディラン調やP.P.M調を演奏…。広島の頃はスリーフィンガーを知らなくて東京に来てから…石川鷹彦さんから教わった… といったお話。

東京に 出てきてから特に感じたのは、自分達が屯する街、そういうところと青春は合致する。新宿から何故か原宿に屯して… 拓郎さんが原宿で飲んでいたころは現在のような景色とは全然 違っていて、当時は何もなかった…住宅街だった。ところが、原宿に一般の人達が夜も来るようになり、お昼になると女子高生とか修学旅行の生徒達が原宿を見に来るようになって、居場所じゃないような感じになってきて、その頃に かまやつひろしさんと拓郎さんが接近するようになって、かまやつさんは原宿にはあまり来ない、六本木がテリトリー。そして、六本木が拓郎さんの遊び場になる。それで拓郎さんの物の考え方が原宿時代とは 違ってきて…。六本木で、一人って悪くないじゃんという感じが味わえるようになって、フォークソング時代に天狗になっていたのが、六本木に行くとそれが要らないという気がしていて…。六本木に既に遊びに来ていた所謂、ザ・芸能界の人達(当時、拓郎さん達は「あっち側」と呼んでいた)と会うようになって、その芸能界の人達と話をすると、そういう既成のスター達(テレビが作りあげた)が意外にも拓郎さんに興味を持っていて、拓郎さんから色々な事を聞き出そうとする、そういった事に拓郎さんは衝撃を受けて…例えば沢田研二さんが拓郎さんに好感を持ってくれて…拓郎さんが段々と変わってくる…。そして、あっち側との戦争には勝ったのではという気持ちになった瞬間があり、拓郎さんのささやかな戦争が終わり、六本木に行く事によって色々な事に終止符を打てるようになった…。歌のテーマになっているのは原宿の青春…。

5曲目「雨の中で歌った」

作曲家としてのオファーのお話。拓郎さんが曲を依頼された時に、作曲は拓郎さん、但し、拓郎さんは作詞はしないという条件で引き受けていた…。その中で色々な意味で良かったのが、2曲。1曲はキャンディーズの「やさしい悪魔」、それは明らかに50~60年代のアメリカのリズム&ブルースから来ているメロディーライン。もう1曲は、これを書いた詩人の、この世界観が拓郎さんは好きで、今でもこの歌詞が好き。松本隆。拓郎さんは松本隆さんの詩の中で一番好きでメロディーも好きとの事。

6曲目「水無し川」(かまやつひろしさん)

ここまで歩いてきた道と新しい道…というお話。

7曲目は「歩こうね」

最後の曲は「今夜も君をこの胸に」


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歩こうね



今夜も君をこの胸に






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