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音楽メモ1

色々とメモ…

「魂のうた」入日茜

  • 2004
  • 「僕のヒーロー」という曲が気になる

魂のうた


「ひまわり」いしのだなつよ

  • 1999
  • 「一等星」という曲を、よく思い出す。

ひまわり


吉田拓郎/Another Side Of Takuro 25

  • 2024.7.4 CD到着
  • 音源的には持っていると思うのだが、どうしても入手したくなってしまう…

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吉田拓郎/Another Side Of Takuro 25

1月17日は浅川マキさんの御命日です。

浅川マキさんのライブは2000年〜2008年まで毎年、年に数回のペースで聞きに行っていた。

http://www.ne.jp/asahi/fulcanelli/music/asakawa/asakawa_index.html

2010年の今日、訃報を聞いて、あまりに突然な感じがした憶えがある。


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こんな風に過ぎて行くのなら



幻の男たち



WHO’S KNOCKING ON MY DOOR(紙ジャケット仕様)






大晦日は浅川マキさんのアルバムを聴く…

2022年の大晦日、「 浅川マキの世界2 ―ライヴ・セレクションBOX」を聴いている…

メモ

  • 「浅川マキの世界 2 Live Selection Box (Disc 3 1982年4月28日 スキャンダル – 京大西部講堂)」に収録されている「あんな女ははじめてのブルース」の冒頭の MC は、「夜のカーニバル」というアルバムに収録されているものと同じかもしれない。

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吉田拓郎オールナイトニッポンGOLD20221216メモ

今回は最終回…

メモ

「Live at WANGAN STUDIO 2022」のお話。1曲目からロックンロールをやっているのにストリングスが入っている。この日の演奏は殆どがテイクワン、テイクツー。

音楽活動の原点。高校の頃から作詞活動はしていた。この頃の音楽状況は拓郎さんはアメリカン・ポップスを米軍の岩国の放送で聞いていた。日本は全体的には演歌が主流。若い歌手も日本の演歌の流れ。その影響も拓郎さんの身体は受け付ている…。大学時代はビートルズ。拓郎さんも大学に進んだらロックバンドを結成して、リーダーの Mさんがリズム&ブルース、ファンクミュージックというのを教えてくれた。この時に拓郎さんはアメリカンポップス、リズム&ブルースが好きだという事を決定した。ボブ・ディランの詩の世界からの影響を受ける。ボブ・ディランの詩の世界のルーツは、世代的なものの考え方の違い、今の大人達は信用できない。今は俺たち若者の時代が来ているのに大人が言うところの常識だとか大人が持ってくる、押し付けるようなこれまでの決まり事等は俺たちには通用しないんだ。そういう古い慣習から脱皮しよう。俺達は俺達で新しい道を進もうという事を拓郎さんはボブ・ディランから教わった。こういう古い考え方とさよならしよう。自分達は自分達なりに生きていこうという気持ちを日本語で書くようになって、その曲調としてはリズム・ブルース、詞はボブ・ディラン風、時代は変わるというのを広島で演奏していたが、だんだんフォーク・ブームというのが広がって学生達が日本でもブラザーズ・フォーとかキングストン・トリオとかピータ・ポール&マリー等をキャンパスでみんながコピーするようになってきた。フォーク・グループというのが沢山、日本で流行ったのだが、拓郎さんはフォーク・グループというのを作る気にはなれなくて、やっぱり、エレキギターでロックグループの方が楽しい、演奏するんだったら、リズム&ブルースが楽しい。歌詞は自分で曲を作るんだったらボブ・ディラン風にしたいという、当時としてはポピュラーではない、流行らないかもしれないし、これを応援してくれる人は少なかった…広島では。拓郎さんが東京に出てきて歌っていたのは…「青春の詩」…世代的な葛藤、大人たちとは 違うんだ…大人たちがあと30年生きるなら、俺達はあと50年生きるのだから、何か自由にやろうというテーマがこの歌の中にも入っていた。拓郎さんのデビュー曲はエレック・レコード。「イメージの詩」と「マークII」という曲をシングルカットで出す。「イメージの詩」がメインになっている。拓郎さんは「イメージの詩」だと思われているのだが…。ある時、歌謡曲の番組にゲストで新人として出演して…、世代の違いを感じて。そういった意味では拓郎さんの始まりの曲は、テーマは世代間の問題ではないかという気がしてきて…。「マークII」という曲を皆、忘れている。”歳老いた男が…” これは何…。これは若い男と女が歳老いた人達から恋愛関係を解ってもらえなかったという悲しさを歌にした歌。いずれ、歌っている拓郎さんも「マークII」の主人公達もまた何時か大人になってしまうんだな…という事を既にこの「マークII」で歌っている。拓郎さんが言いたい事は「マークII」。

1曲目は「マークII」(LIVE73)

拓郎さんが東京で初めてラジオに出演したのは、ラジオ関東、1970年? ラジオ関東からよく声がかかった。ラジオ関東の放送局で加藤和彦と初めて知り合う(対談)。

CBSソニーに移籍した頃、TBSラジオからオファー。パックイン・ミュージック。これが深夜放送の始まり。ある日、アントニオ猪木さんが突然来た。

ニッポン放送。1971年、バイタリス・フォークビレッジ。ある日、デビューする前の中島みゆきさんが…

オールナイト・ニッポンは 1974年頃。この頃、拓郎さんは日本のメディア、マスコミ、特に雑誌系と犬猿の仲…。その頃、拓郎さんの家庭の問題を番組の最終回で…。

文化放送。セイ・ヤング。事務所の人間をラジオ番組のレギュラーにして…

1980年頃、再び「オールナイト・ニッポン」。

拓郎さんはラジオが好きだった…。

2曲目「ショルダーバッグの秘密」(WANGAN STUDIO 2022)

ボブ・ディランの「セルフ・ポートレイト」拓郎さんの一番好きなアルバム。「ぷらいべえと」は「セルフ・ポートレイト」からの影響。

歌謡曲、演歌からの影響。マイナーな曲は苦手。演歌調の曲は憶えている。

3曲目「いつでも夢を」

人間は、一人一人が同じように見えるが、各々 違う感覚、オリジナリティーというのを持っている。一人一人、それぞれがテンポ感を持っている、一人一人は違う。

… (徒党を組んだ頃の話) …

基本的のお互いのテンポとかスピード、生き方、暮らし方は絶対に相いれない、それを理解する訳にはいかないという現実があるのだけれども、その、あることを、肝に命じて、心の中にとどめながら、時には肩を組んだり友達と仲良くしたりという事があるのではないかと。その時に個々オリジナリティーがちゃんとしていないとマズイなという事を学んだ。最近のネット社会では共有という事に縛られているのでは…関わりあわない素敵な関係、お互いのオリジナリティーを尊重したいといったお話。

4曲目「君のスピードで」

最近の音楽には、イントロ、間奏、エンディングというのがあまり無く、そこは必要じゃない時代…? ギターソロとかサックスソロとかが無く歌ばっかり…。もっと演奏を楽しんでほしい…。

ボブ・ディランの 「Don’t Think Twice, It’s All Right」。ディラン調やP.P.M調を演奏…。広島の頃はスリーフィンガーを知らなくて東京に来てから…石川鷹彦さんから教わった… といったお話。

東京に 出てきてから特に感じたのは、自分達が屯する街、そういうところと青春は合致する。新宿から何故か原宿に屯して… 拓郎さんが原宿で飲んでいたころは現在のような景色とは全然 違っていて、当時は何もなかった…住宅街だった。ところが、原宿に一般の人達が夜も来るようになり、お昼になると女子高生とか修学旅行の生徒達が原宿を見に来るようになって、居場所じゃないような感じになってきて、その頃に かまやつひろしさんと拓郎さんが接近するようになって、かまやつさんは原宿にはあまり来ない、六本木がテリトリー。そして、六本木が拓郎さんの遊び場になる。それで拓郎さんの物の考え方が原宿時代とは 違ってきて…。六本木で、一人って悪くないじゃんという感じが味わえるようになって、フォークソング時代に天狗になっていたのが、六本木に行くとそれが要らないという気がしていて…。六本木に既に遊びに来ていた所謂、ザ・芸能界の人達(当時、拓郎さん達は「あっち側」と呼んでいた)と会うようになって、その芸能界の人達と話をすると、そういう既成のスター達(テレビが作りあげた)が意外にも拓郎さんに興味を持っていて、拓郎さんから色々な事を聞き出そうとする、そういった事に拓郎さんは衝撃を受けて…例えば沢田研二さんが拓郎さんに好感を持ってくれて…拓郎さんが段々と変わってくる…。そして、あっち側との戦争には勝ったのではという気持ちになった瞬間があり、拓郎さんのささやかな戦争が終わり、六本木に行く事によって色々な事に終止符を打てるようになった…。歌のテーマになっているのは原宿の青春…。

5曲目「雨の中で歌った」

作曲家としてのオファーのお話。拓郎さんが曲を依頼された時に、作曲は拓郎さん、但し、拓郎さんは作詞はしないという条件で引き受けていた…。その中で色々な意味で良かったのが、2曲。1曲はキャンディーズの「やさしい悪魔」、それは明らかに50~60年代のアメリカのリズム&ブルースから来ているメロディーライン。もう1曲は、これを書いた詩人の、この世界観が拓郎さんは好きで、今でもこの歌詞が好き。松本隆。拓郎さんは松本隆さんの詩の中で一番好きでメロディーも好きとの事。

6曲目「水無し川」(かまやつひろしさん)

ここまで歩いてきた道と新しい道…というお話。

7曲目は「歩こうね」

最後の曲は「今夜も君をこの胸に」


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歩こうね



今夜も君をこの胸に






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「吉田拓郎/Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL“ah-面白かった”Live Session- Blu-ray Disc 」鑑賞

予約していた円盤が届いたので早速鑑賞。

スタートして、直ぐに音の良さを感じた。

リハの様子と思われる箇所からは、音楽を作り上げていく楽しさのようなものを感じた。

「慕情」は弾き語り。

改めて拓郎さんの声は良いと思った。

拓郎さん、素晴らしいクリスマスプレセントをありがとう。

追記

「ごめんね青春」は VODで、先日視聴


Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL “ah-面白かった” Live Session- [Blu-ray]




吉田拓郎/Live at WANGAN STUDIO 2022 -AL“ah-面白かった”Live Session- Blu-ray Disc



吉田拓郎オールナイトニッポンGOLD20221111メモ

今回は秘蔵音源、弾き語り… 。「金曜日の朝」は好きな曲。

メモ

  • 中島みゆきさんからのお手紙~瀬尾一三さんのお話等
  • 1曲目。1975年の つま恋の第2部を担当した松任谷正隆のグループセッションの中で本邦初公開。「知識」
  • 「ah-面白かった」の9曲を映像としてライブでやりたかったという気持ちが強くなってきて…フジテレビのWANGAN STUDIOで2日間セッションをやって収録… 弾き語りもという事で「慕情」。ギブソンのJ-45 を引っ張り出してきて…ちょっと良い音がした、空気、オーラがある… その中の1曲「Together
  • 南町…広島県立南高校 … 進徳学園 … バスケット部 … 茶道教室 … 
  • 3曲目。2005年つま恋ライブ、中島みゆきと「永遠の嘘をついてくれ」
  • 「ペニーレインでバーボン」のお話。「人生を語らず」の再発…時間がかかり過ぎ…この曲をツアー先で歌っている時に楽屋を訪ねてきた数人の人達が…お気付きですか?
  • 「ペニーレインでバーボン」さんの気持ちを歌っている曲、4曲目「とんとご無沙汰」(ライヴヴァージョン)
  • 弾き語り… 「金曜日の朝」これは安井かずみさん作詞 、当時の拓郎さんの生活ぶりが少し出ている…当時は原宿あたりで…安井かずみさんと かまやつひろし さんは当時の拓郎さんの実情等を知っていた先輩二人…当時の原宿表参道 …
  • 弾き語り…「青春の詩」… ギターは音楽的…ベースランニング…当時のフォークにしては変わったリズム感覚
  • 弾き語り…「もう寝ます」… 当時はコミックな感じがウケていた…
  • 弾き語り…「ガラスの言葉」
  • WANGAN STUDIOの話
  • 原由子さんのお話~桑田佳祐さんのお話。60~70年のフォーク、ニューミュージックと 違う。NHKの特番…感謝状…渋谷で一人暮らししている頃、麻布の飲み屋~渋谷のマンション~ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバムジャケット(オリジナル版、ロンドン)…ギター、ローズウッドのテレキャスター
  • 5曲目「歩こうね」
  • 東京中心の文化に反発、ザ・芸能界へのアンチテーゼ、テレビへの反発。イメージが定着…
  • 6曲目「マスターの独り言」
  • 何事も始まれば終わる(堀北真希さん)
  • ラジオはちょっと秘密がある…そこがチャーミング
  • 7曲目「アウトロ」


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吉田拓郎オールナイトニッポンGOLD20221015メモ

ゲストは篠原ともえさん。個人的には「LOVE LOVE あいしてる」の音作りのお話が聞けてよかった。

メモ

アマテラス愛子(佳代さん);拓郎さんのマンションは天岩戸と呼ばれている

1曲目「全部抱きしめて」


全部だきしめて


篠原ともえさん登場

剛さんにはアタリがそんなに無いが光一さんにはアタリがキツイ。光一さんにとっては男とか女ではなく、篠原ともえという存在。(篠原さんと光一さん)拓郎さんと収録が終わった後に花束を Kinki Kidsから渡して、その時になんとも言えない、静かで華やかで感動的な時間が体感としては10分くらいだったのではないか?時が止まったような美しい時間。その時に誰も声も音も出さずに花束を受け取った拓郎さんを静かに見守る。あの時の拓郎さんの表情を一生忘れない。

ハワイロケの篠原さんのメイクのお話。白かった … ハワイに行って篠原さんが星を観る話。篠原さんの「星」の番組に繋がっている … ハワイロケの時に拓郎さんと Kinki Kids 、篠原ともえさんは打ち解けた。

「LOVE LOVE あいしてる」が始まる前や最初の頃のお話。篠原さん達はピュアで、本当に拓郎さんの事が好きだった。拓郎さんが心を開いてくれる前は、視界に入らないように … 1年くらい経って、打ち解けた。

拓郎さんはエド・サリヴァン・ショーがやりたかった。篠原さん曰く、音的にはエド・サリヴァン・ショーだった。当時は音楽番組はあったが、ほぼカラオケだったり、生演奏があっても音に対しての機材が揃っていなくて、それで拓郎さんがリハーサルをしている時に大怒鳴りしていて、「何故、PAさんがスタジオ側とテレビ側にいないんだ?」当時は拓郎さんが音に怒っている理由も解らないくらいの感じだった。最初のリハーサルや会議で拓郎さんが怒っている感じで、次から、とんでもない豪華なセットが。足元スピーカー、返し(モニタースピーカー)がライブのステージのように無いとダメだという事で拓郎さんが昨今の歌番組に必要な返しを取り入れた。現在の音楽番組のクオリティの根本を変えたのは、「LOVE LOVE あいしてる」が始まりだった。

(拓郎さん曰く)こんな事をやっていたら音楽番組と言えない。もっと音楽的なクオリティを上げないと。ここに集めているミュージシャンの顔ぶれを見てくれ。こんな凄いミュージシャンが集まっているのに、こんな貧弱な音でどうするんだ?音を録ったままではなくて、エンジニアという人がいるんだから、ちゃんとミキシングとかをして、今風の音を作るとか、そういう事を全部やれ。あの番組はイチからだった。放送局のエンジニアはいるが、あまり慣れていない。例えばチャンネル数がすごく多いレコーディングに慣れていなくて、例えば 2ch、4ch、8ch くらいのミキサーでやるくらいの感じだったが、すごいミュージシャンが入っていて、1人1個のトラックは絶対必要だったので、16ch、32ch は最低無いとダメという話から始まって、そこから、ミックスダウンという作業があるのをテレビとかであまりやっていない。それを武部さん、吉田健さん等のミュージシャンが入って参加して、トラックダウンという事を作り上げる事にした。音楽作りは一人では出来ないし、沢山の人達の協力が必要だという事が解って来て、それを浸透していく事によって、スタッフとも打ち解けるようになって、4年くらい、終わりの頃は何も言わなくてもきちんと出来るようになっていた。

篠原さんがデザイナーになった経緯。デビュー当時は篠原さんはシノラーファッション、アクセサリーも自分で拵えてスタイリングしていた。洋服が好きだったのは小学生の頃。デザイン画を沢山描いたり、中学生の時も独学で洋服を作っていた。篠原さんのお母様が洋裁が好きだった。いつかデザイナーになりたいな、と小中学校の頃から思っていた。高校はデザイン学科専門の高校に進学して、デビューしてからも大学は服飾学科の文化学院に進んだ。ライブの衣装、グッズをデザインするのは楽しい、自分の服を作るのは楽しいと思っていたのだが、「誰かに提供する、誰かの為に作るのは出来るのかな?そもそも、そうった話が来るのかな?」と思っていて、やりたいけれども、出来るのかな?と思ったのが丁度、20代くらい。拓郎さんと出会った頃。ある時に拓郎さんが「この洋服等、篠原が全部デザインしたり作ったりしているんでしょう?面白いから、篠原、デザイナーになれよ」と言ってくれた。だから、「拓郎さんが背中を押してくれた」と篠原さんは思っているが、拓郎さんは、この事を憶えていない。

篠原さんは「拓郎さん、私は他人にデザインするとか出来るか?解らないです」と言ったら、拓郎さんは「自分が持っているアイデアというものは皆に配るものなんだ。」。「えっ?そんな事が出来るんですか?」(拓郎さん)「僕が曲を作って色々な人に届けて楽曲提供したように、篠原が持っている服とかデザインのアイデアというのは、自分だけで独り占めにするのではなくて、色々な人に届けてあげなくてはダメだよ。それが君のする事だよ」と仰っていたとの事。

(篠原さん)そこで不思議なご縁で、2013年頃に、松任谷正隆さんから「ユーミンの衣装をやってみない?」と言われた時に、お話をいただいた時に、拓郎さんの言葉を思い出して、「これだ、捧げる時が来た。」拓郎さんは忘れているけれども。一番最初に拓郎さんに連絡した。拓郎さんが「ユーミンの為に捧げなさい、君のアイデアを」。忘れているのに、その時と同じ事を拓郎さんが言っていた。そこで、後から繋がるのが、正隆さんが最初にレコーディングした曲は拓郎さんのアルバム「人間なんて」だったという、全部が繋がって、篠原さんの中で、不思議な力を….。

2曲目「僕の大好きな場所」。


僕の大好きな場所(From AL「AGAIN」)


「僕の大好きな場所」。この曲は拓郎さんの曲先。(篠原さん)拓郎さんが言っていたのは、「人生というのは、もっと、海だったり、空だったり、すごく広くて豊かなんだ。そして、小さな出来事とかで人の心は変わるんだ。だから、色々な出来事を、この歌詞の中に入れて、人を幸せにするような、これを聞いて、みんながハワイに行きたいな?という事を思うような歌詞が出来るはずだ。出来事を入れなさい。自分の体験、喜びを入れなさい」。不思議なのは拓郎さんから言われたら、歌詞が振って来た。

「LOVE LOVE あいしてる」の時の曲のお話。

コシノジュンコさんのご自宅に一緒に伺ったお話。

篠原さんは高校時代は天文部だった。学校が専門的にデザインの事を勉強する学校だった。グラフィック、建築、写真、平面構成。写真は現像を自分で。ここで拓郎さんが写真部だったお話 … 。

篠原さんと佳代さんは、よく女子トークをしている。

佳代さんが拓郎さんに送るメールを間違えて篠原さんに送ってしまった … お話 等。

篠原さんは中学生の時は軽音部だった。

篠原さんはユニコーンが好きだった。

歌の中で、篠原さんへの掛け声と奈緒さんへの掛け声が、だいぶ違う。

3曲目 「 Together 」


Together


篠原さんのご主人のお話。最初の出会いはお仕事。展示会の打ち合わせの時 … 。作品が3万枚くらいあった。「どうして、この道を続けてこなかったの?」「デザインの方を続けて行ったら良いんじゃないの?」 … 。デザインについてはご主人の存在がすごく大きかった。

篠原さんのご主人のお話。最初の出会いはお仕事。展示会の打ち合わせの時 … 。作品が3万枚くらいあった。「どうして、この道を続けてこなかったの?」「デザインの方を続けて行ったら良いんじゃないの?」 … 。デザインについてはご主人の存在がすごく大きかった。

4曲目「パパのニュー・バッグ」ジェームス・ブラウン


パパのニュー・バッグ









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吉田拓郎オールナイトニッポンGOLD20220909メモ

今回のゲストは菅田将暉さん。色々と楽しかった。

メモ

1985年のALL TOGETHER NOWのお話。拓郎さんが総合司会。テーマソングの詞は拓郎さん。テーマソングのレコーディングの時に拓郎さんは初めて坂本龍一さんと会った。大瀧詠一と細野晴臣とは話をしていなかった。それで、まだ会った事が無い事に気が付いた。オープニングは拓郎さんとオフコースで「お前が欲しいだけ」、それで拓郎さんの小田和正さんが一気に仲良くなった。

小田さんからのメールのお話。広島のコンサートで小田さんは「夏休み」を歌った。その時にミニバンドの田辺さんご夫妻が来ていたというお話。小田さんは二日間、「夏休み」を歌った。

アナログLPの話。

「LOVE LOVE」の収録の時にスケジュールが合わなかったのが菅田将暉さん。もう一人は稲垣来泉さん。

アルバムのCDオンリーに「花酔曲」が収録されているお話。拓郎さんのデモテープとの事。

1曲目「ライブ ’73」の「マークⅡ」


LIVE’73

ゲストは菅田将暉さん。

五年前の記者会見、開局50周年だったような。そこで拓郎さんと菅田さんが初めて会った。拓郎さんが最後に恋心を抱いた男性は菅田さん。~原田真二さんに恋心を抱いた話。男性に恋心を抱く話。女性に対しての意識とは違う恋心。

今日のオンエア日が「百花」の公開日。認知症のお話。

菅田さんの髪型のお話。ロン毛の頃が洋服が楽しかった。坊主も洋服が楽しい。

ラジオ番組のお話。会った事が無いのに友達が沢山いるみたいな。

スタジアムジャンパーのお話。

菅田さんがジージャンを作って来た。拓郎さんとピッタシ。

2曲目「あいもかわらず」石崎ひゅーいさんと菅田将暉さん


あいもかわらず

菅田さんが子供の頃に憧れた職業は?教師。小学校の頃に出会った先生が好きで数学が好きで数学がやりたかった。俳優については憧れ方が解らなかった。上京したいという憧れはあった。

菅田さんは最初は仮面ライダーだった。熊本で5000人の人達からフィリップ、フリップと呼ばれた。16歳。子供達がやってきて、この子達に憧れられないとダメだなと思ったとの事。

何もしないで待っている時間の話。音楽の世界の待ち時間は無い。待ち時間に耐えられないと俳優さんは務まらない。鷹を待っている話。

拓郎さんのRONINの時のお話。拓郎さんは俳優の世界に向いていないのが解ったお話。

菅田将暉さんが音楽をするようになったキッカケは、「人生を語らず」。さんまさんの番組。

ライブは楽しいというお話。トランス状態になるお話。

拓郎さんは毎日同じ事をしていると飽きる。ラブソングを毎日歌っていると嘘っぽく感じる。自分に正直でいるのは認めてもらえない。舞台も毎日同じ気持ちでいるのは無理、同じ事は歌えないというお話。

ドラマで役を演じていると記憶が無い時がある。もしかしたら、その人になっている状態に近い状態なのかもしれないというお話。

カットと言われて、数日経って、そのドラマも終わって、その性格が自分に残っている事は?お芝居していない時もその役が10パーセントくらいある。母親に、「今、こういう役でしょう?」とバレる。何か引き摺っている。ボクサー役、だんだん強くなると力を使いたくなる。妄想の話。

3曲目「惑う糸」


惑う糸

初恋のお話。菅田さんは初恋は実った。弟同士が仲が良かった。一緒に帰る事になって、それが中学3年の時、告白。その一ヶ月後、フラれて、何故だか解らない。お揃いの指輪が欲しいと言われて、自分なりに買ってプレゼントしたら、その2週間後にフラれたというお話。高校一年の頃はモテたが仕事で上京したので青春は無くなったというお話。

ネットショッピングのお話。撮影の待ち時間はずっとネットで探しているというお話。拓郎さんの断捨離の話。今年、着なかったものは捨てる。食事は自宅でというお話。作り置きが楽しい。拓郎さんネットでアイスクリームを買っていて、菅田さんが餃子をネットで買っているというお話。

女性の大活躍が社会を動かすという話。昔、拓郎さんのコンサートの野次の中で女性の応援が励みになったというお話。拓郎さんの音楽を支えていたのは女性。「古い水夫」のお話。

4曲目「 Listen to The Music 」Doobie Brothers


Listen to the Music







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吉田拓郎オールナイトニッポンGOLD20220812 メモ

今回のゲストは あいみょんさん。歌詞についてのお話等、とても興味深く良かった。

メモ

吉田たんみょん。堂本剛さんに「たんみょんで再デビューしても貴方は絶対に売れる訳が無い」と言われた。

巷の情報。拓郎さんが芸能活動を引退という噂。「拓郎に近い音楽仲間」、「拓郎をよく知る人」というのは嘘。拓郎さんをよく知っているのは拓郎さんのマンションに一緒に住んでいる方々。責任を負わないメディアの作り話に惑わされない事。ネット、都市伝説、フェイクニュース、全部、あり得ない嘘。佳代さんに「芸能界にいたのか?」「芸能人だったのかな?俺たちは」「芸能界を引退するのは違うんじゃないかな」ユイ音楽工房は芸能事務所という感じでは無かった。芸能界の方々とお付き合いはあったが、どっぷり芸能界に入りきれず中途半端。界とワールドとかは関係無くて拓郎さんは自分の好きな事をやっていたに過ぎない。芸能界を引退というのは好きになれない、敢えていえば卒業、リタイア。平凡な日常の楽しみはあるし、人生をリタイアしている訳では無いし、生きる事を引退した訳では無い。ギターは弾くし。やらないと言った事はやらないが、やりたい事は沢山ある。

リスナーから、LP再プレスの話が沢山。

LPは拓郎さんが記念に残したいと思って作った。プレスには限りがあるので予約が一杯なのは予想外。
ジャケットは素晴らしい。

1曲目「雪さよなら」小田和正さんのお話


雪さよなら


あいみょんさんがゲスト

今度のアルバムは結婚して36年経って佳代さんがやっと認めてくれた(これまではあまり聴こうとしなかった)。佳代さんに若い方の音楽を勧めていた、米津玄師さんに一時ハマっていた。ところが佳代さんは飽きが早い。あいみょんさんの音楽を勧めていたが、女性同士で何かあるらしくて(なかなか聴かなかったのだが)、この前のテレビを観て心が掴まれたらしくて、そこであいみょんさんの曲で、拓郎さんがこれだと思う曲を繋げてアルバムみたいにして佳代さんに聴けるような環境を作ってと言われた。拓郎さんが作ったら、ずっと朝昼晩、あいみょんだらけ。あいみょんさんの曲と拓郎さんの曲がループ。今、御飯を食べる時に「初恋が泣いている」を歌っている、頭から離れない。曲は完璧に把握しているが歌わしてくれるところが無かった(LOVE LOVE)。「初恋が泣いている」の2コーラス目のママについて、気になっていて、1コーラス目をちゃんと聴くようになって「電柱にぶら下がっているママ」。話を変える事が出来そうな歌が、あいみょんさんの歌には多い。天下の大嘘吐きは褒め言葉。でんぐり返しの日々は浮かんでこない。こういう事を歌詞にするのは変わっている、すごい人。あいみょんさんは妄想させるのが上手い。でんぐり返しの日々は考えた言葉では無くて、ただ出てきた言葉を流れるように使う。最初は深い意味は無い。想像力を掻き立てられるナンバーワン。読んだ人が自分なりに判断するしかないという歌詞が多い。解りづらいからこそ、面白い。クイズみたいな歌。どっちにも取れる。拓郎さんは、こういう歌詞は見た事が無い。あいみょんさんは唯一。「桜が降る夜は」4月の夜はまだ肌寒いよね、というカップルの距離感、微妙。27歳、歌詞に書いている事を全て経験した訳では無い。他の兄弟とは違って、手はかからなかったけれども、一番、皆んなとは違った(あいみょんさんのお母さん達的には)。勉強どうこうよりも絵を書く、作文を書くのが好き。基本的に悲観的な妄想。どちらかというとマイナスな思考が多い。でも、外面は明るい。中学から映画が好きで家でDVDを見ていて可哀想な主人公を自分に置き換えて妄想。そういう事が今に繋がっている感じは無い。自分が何故、こういう歌詞を書くのかは解らない。あいみょんさんのお父さんが音響関係だったので、楽器も沢山あって、CDも沢山あったので、唯一、あいみょんさんだけが音楽に興味を持った。それは日本の音楽。でも、日本の音楽の影響は受けていない。ワンアンドオンリー。拓郎さんは色々な人から「あいみょんさんの楽曲は吉田拓郎さん的なニュアンスがありますね」とよく言われるが、拓郎さん曰く、「無い」。全然、拓郎さんの楽曲とは違う。まず、何が違うかというと、音楽は歌詞を書いてメロディーを付けて、ギター一本でこうやっていると、割と同じように聞こえるものもアレンジしたりすると、全く違う音楽に生まれ変わる事が出来る。その意味では、あいみょんさんの周りにいるミュージシャンについては拓郎さんが会いたいくらい、すごく良いミュージシャンが揃っている。アルバム聴いたりして、すごく良いスタッフがいて、これは財産だから大事だと思うが、その前に、じゃあ家でギターを弾いて作って、それが吉田拓郎的なところがあるかというと、無い、絶対に違う。だから、たぶん、あいみょんっぽいものは今後出て来ない。一人で最後。影響を受けて出てくる人はいるだろうけれども、拓郎さんの場合でも全然拓郎さんらしく無い。あいみょんさんもワンアンドオンリー。こんな世界観は考えられない世界観。「恋をしたから」夕方の匂いが苦しいのは、あいみょんさんだけ。夕飯も喉を通らなくては、あるけれども、夕方の苦しくてという表現は無い。ずっと頭が動いている。歌を作っているのは楽しい。どんどん湧いてくる。夕方の匂いが苦しくて、は鯖の煮付けから。読んでいるとすごく面白い歌詞が多い。「愛を伝えたいだとか」の少し浮いた前髪というのは良い言い方。割れてしまった目玉焼き。明日いい男になる訳じゃ無いも良い表現。逆も言えるような歌詞。こんな事を歌にした人はいない。「風のささやき」もロマンチックな感じかな?と思っていたら全然違っていた。こんな事を歌にする人はいない。頑張れと言われるのが苦手だった。でも、こういう表現は。これがメロディーに乗っかっている。

2曲目「初恋が泣いている」


初恋が泣いている


好きなコード。あいみょんさんは Cadd9。拓郎さんは E。

ギターを弾きながら、曲を作る。同時進行。ギターに良い意味で興味が無い。C系で作る。

拓郎さんのギターテクニックの話。

偶々、押さえたコードが良い音だった(あいみょん)。憶えたくない一心。

エレキの方が面白い(拓郎さん)

ヴォーカルの話。あいみょんさんの声は裏声になっても、ファルセットになってもヒステリックにならない。便利な声。高いところになってもヒステリックにならない。

シンガーソングライター以外でなりたかったもの。パン屋さんになりたかった。近いところではカメラマン、音響、になりたかった。元々は絵を描きたかった。美術が得意。学校で褒められていたのは唯一、美術。自分の想像で絵を描くのが苦手(模写が得意)で諦めた。

学校という場所は勉強というより友達と会う場所。好きなものを共有する場所。黒板を写すのも、のーとをとるのも如何に綺麗に書けるか?という事しか考えていなかった。ノートはアート。絵のような感じ。勉強は一切出来なかった。

お酒の話。あいみょんさんはビールが好き。他のお酒も好き。日本酒に辿り着いていない。

カメラが好きだという事と酔っ払いになるところは拓郎さんと似ている。昔の髪型とガチャピンと。

3曲目「桜が降る夜は」


桜が降る夜は


「初恋が泣いている」が名曲だという話から初恋の話から「準ちゃん」を拓郎さんが演奏。あいみょんさんは色々あるが初恋はどれだったか?一番早いのは小学校? 中学。陸上部は誰も振り向いてくれなかった。あいみょんさんの好きな人は陸上部。第二ボタン。そこから曲は生まれなかった。好きな人の為に曲を作ろうというのは無かった。「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」(拓郎さん)。

遊びに行ってみたい場所。ニューヨーク。今は日本で行ったところが無いところに行きたい。お風呂が好きで無いのも拓郎さんに似ている。温泉の話。

動物が好き。多摩動物公園の猿山がお勧め。

あいみょんさんは、拓郎さんが今まで会った事が無い人という話。お喋り過ぎる。3秒黙るのがしんどい。一人喋りは平気。一緒に暮らすと楽しそう。楽しませる自信がある。スタッフにあいみょんやっていて楽しいと思ってもらいたい。あと 4〜5時間大丈夫そう。

ずっとあいみょんのアルバムを聴いて、かなりスペシャルな感じで評価していて、オリジナリティーというのがすごくあって、咄嗟に浮かぶフレーズみたいなものをメロディーに乗せるやり方はとても斬新で拓郎さん達も70年代からやってきたんだけれども、また、もう一段階前進して、もう一つ新しい曲を作る曲作りのパターンをあいみょんさんは確立しつつある。米津玄師さんの曲作りも斬新だし、若い人達が日本のポピュラーミュージックを引っ張っていって、また、それらにつられて若い人達が影響を受けて曲を作っていくという、将来の日本の音楽がそういった方向に行ってくれると、どんどん新しく日本のエンタメ、ミュージックの世界も素敵な方向に行くのではと期待している。あいみょんさんが楽しい、すごく面白いというのが解ってびっくりした。

4曲目「夏休み」(アルバム「一瞬の夏」より )


夏休み








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吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLDメモ(2022.7.8)

ゲストは Kinki Kids 。曲は2だけで、お話の密度が高かった感じがする。


ah-面白かった(CD+DVD)


 昔、剛さんは魚釣りに凝っていた時代があった。光一さんは車をずっと。拓郎さんは昔、ジープに乗りたくて、光一さんに suzuki ジムニーを紹介された。そしてラングラー、ゲレンデを紹介されて、結局、ジープが3台になった。光一さんは、そもそもジープに関心無い。拓郎さんは車の色を塗り替えて、ハイライトの色になった。

剛さんの魚釣りの話。伊豆でドラマ撮影の頃、偶に日中だけ撮って夜は無い日があって、当時のスタッフの音声さんから夜釣りに誘われた。その時に釣りは良いかもしれない、ぼーっと出来るし、波の音も聞きながら、すごく気持ち良かった。当時も忙しかったので真逆の世界な感じがしてハマっていった。自然を感じてからスタジオに入って、切り替えが出来た。人生の最後は釣りをすると思う。

光一さんの車の話。現在、沖縄ロケの時とは違って光一さんは安全運転、ゴールド免許、無事故、フェラーリに乗っている。

買い物に行く話。光一さんも剛さんもコンビニとかに行く。オーラを消しているので他の人から気付かれる事が無い? スーパーで値引き品を買ったりする。剛さんは、元々、外食はしない。光一さんは服を買いに行った事がない、サイズが難しいのでスタイリストが持ってきたのを買う感じ、外で試着とかはしない。拓郎さんは試着が好き。剛さんはどちらでも、ただ店員さんが勧めてくるのが苦手。

拓郎さんは10代の頃と東京に出て来てからとは全然違うというお話。

拓郎さんは今の時代にはなかなかいないリーダーシップの取り方をしているというお話。拓郎さんが言っているところに皆んなが向かっていけばきっと良いものになる、となって皆んなが向かっていく感じ。今の時代のリーダーは皆、守りに入っている。拓郎さんとジャニーさんのリーダーシップの取り方は同じ感じ。

Kinki Kidsが本格的にギターを始めたのは 「Love Love あいしてる」から。リスナーからのメールのお話。二人だけで曲を作ったアルバムを望むメールが多い。

「Love Love」収録の時のお話。新曲の音源が届いて拓郎さんが聞いたところ、拓郎さんがKinki Kidsについて持っていたイメージとは違っていた。今まで拓郎さんは剛さんのボーカル、光一さんのボーカルという聴き方はしていなかった。拓郎さんはKinki Kidsとして聞いていたから、二人の歌への接し方は割と近いと思っていた。拓郎さんは剛さんのボーカルについてはナーバスで内にこもっている感じをイメージしていたが、聴いてみて、ものすごく力感があって、どちらかというとアクティブ、行動的で活発で男らしい歌。光一さんのボーカルはものすごく切々としていて、ものすごく訴えている。拓郎さんが光一さんに抱いていたイメージは普段アクティブな感じと捉えていたが、ボーカルは光一さんが切々と訴える感じで、剛さんはアクティブなボーカルとなっている。拓郎さんは二人の性格を逆に見ていたから、ビックリした。お互いソロでやっていたものが出て来た。二人は各々、オリジナルだが、一緒に見てしまう先入観があるのかもしれない。

剛さん:拓郎さんから提供された詞から「明るく行こう」というものを感じた。本当に悲しい時こそ明るく行くという美学。ジャニーさんの時の事を思い出した。寂しい時程、明るい方に行こうという自分がいた。

光一さん:しっかり歌詞を伝えたいという思いが先行していた。

拓郎さん:剛さんのイメージも光一さんのイメージもひっくり返った。上手くなっている。表現力が豊か。

剛さん:10代の頃、拓郎さんと一緒にいると色々と叶っていく。その頃の感覚が戻って来た。

曲「危険な関係」。主人公は光一さんと拓郎さん、剛さんと拓郎さん。拓郎さんは二人を Kinki Kidsとして見ていない。


K album【通常盤】



危険な関係


拓郎さんの中では篠原ともえさんは17~8歳で止まっていた。Kinki Kids と篠原ともえさんは同年代で、Kinki Kids にとっては篠原さんの成長の仕方は妥当。篠原さんは昔から服飾が好きで自然な感じ。あの頃はテレビの雰囲気に答えなきゃいけないというキャラクター、篠原さんは一生懸命演じていた。サービス精神の種類が変わった。ハワイに一緒に行った時に海辺で篠原さんは月をずっと眺めていて、繊細さを感じた(剛さん)。

「Love Loveあいしてる」で印象的な人。拓郎さんは大原麗子さん、Kinki Kids は安室奈美恵さん、つんくさん。大原麗子さんの “帰りたい、私”

光一さんが自分が描いている事。激動の中、拓郎さんが表舞台から去るのも激動の内の一つで、これからの事は想像も出来ない。漠然としたロードマップはたてている。一つ一つ、その場の事をこなす。

剛さん:音楽はやりたい事をやるだけ。どんな事をやっていても、どんな場所にいても、自分を生きれていれば良いなと思う。自分を生きるという事は我儘という事ではなくて、自分を信じて生きる。考える事も自分だから考える事を信じて。計画、ロードマップは考えていない。その日、その日に自分を支えてくれる人、ファンの方、応援してくれる方、自分の人生の仲間と過ごしている中で色々と気が付いた事を優先するのか、気付いた事を数年後でも。最終的には釣りして楽しんで、ぼーっと過ごせたら良いかな、みたいになりたい気もする。

拓郎さんからのリクエスト。数年以内に Kinki Kidsで力を出して拓郎さんをハワイに連れて行く番組を作って欲しい。

曲「Amazing Love」


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吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」(Blu-ray Disc+CD)