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吉田拓郎オールナイトニッポンGOLD(20220513)メモ

今回は新アルバムの全曲解説


ah-面白かった(CD)

メモ

今回のアルバムは全曲カットアウト(フェードアウトなし)。拓郎さんの音楽史上初めて。このアルバムはスペシャル。佳代さんが何十回、何百回と聞いている。フェードアウトが無い。

「ショルダーバッグの秘密」

拓郎さんは東京に出てきて考えもしなかった出来事に巻き込まれる事が沢山あって、想像していなかった事件に巻き込まれたり、社会から強烈なイジメというか、そういう事も体験したり、拓郎さんの周りには愛が無いのかな?と思ったりした事があったり、広島から出てきて結局ひとりぼっちだと悩んだ日もあった。そういう事が続く青春が若い頃あったのだが、拓郎さんはその時々に沈黙を割と守って、もう話さない、言いたく無い。拓郎さんが愛していた媒体、深夜放送、ラジオという媒体以外は、もう話したくない。拓郎さんが黙りこめば黙り込むほど、悪とまではいかないが、そういう評判みたいなものが、やや定着しそうになった時代があった。本当はそうではなくて拓郎さんが黙っていたからそうなったという事が色々とあって、真実、本当の事を胸中に隠したまま、拓郎さんが自分に課したのは音楽という事でしか自分の正当性だとか、自分が間違っていないという事だとかは、音楽をやる事によってしか回復出来ないと、そういう風に追い込まれた時期があって、拓郎さんが作る音楽等は一切メディアで放送されなくなる時期もあった。そういう時に音楽で戦っていくしかない。喋ったりインタビューを受けたり、そういう事をするのが無駄だという時期があって(当時、社会は敵だと思っていた)、アルバム作りとコンサートツアーに全神経を投じていこうと決心した時期だった。アナログLPの中に拓郎さんを信じてくれていた人達の為にエッセイを入れたとの事。「金沢の夜」「愛が得られなかった別れの事」等、拓郎さんが語った事が無い事をエッセイとして残した。拓郎さんは当時世間で語られたりしていたルールをあまり持たない、非常に自分勝手なというイメージ、そういうものは、拓郎さん自身とはかなりかけ離れたイメージだったという事を拓郎さんは話しておこうと思った。本当の拓郎さんは困ってしまう程真面目で普通である事が大好きで普通に生きる事が愛だと思っていて、そういう人間だったという事を最後に書き記しておこうと思って拓郎さんはエッセイを書いた。

拓郎さんのショルダーバッグの中には色々な秘密が詰まっている。詳細はアナログLPのエッセイ

「君のdestination」

皆んな誰でも色々と自分の日常とか行き先、人生の方向で悩んだりする事がある。そういう些細な事を悩んでいても仕方が無い時があって、時々、悩んでいる自分に酔っているという事があるのではないか?という曲。貴方が何処へ行こうが、何処へ向かおうが、知ったことではない。今、そんな大した問題ではない。そんな大問題にすることがおかしい、今は。気にしないで、成り行きで行こう。ラテンの音楽を取り入れて。君のdestination、行く先。

アナログLPの話。つま恋で撮影。奈緒さんがイメージガール。このアルバムにしか付いていない、エッセイ集『ちょっとだけTrue Story』が封入されている。数量限定、増版はしないとの事。8月10日発売。

3曲めは拓郎さんの真実を歌った曲「Contrast」

拓郎さんの人生は「愛」というものを求め続ける幸せが欲しい。「愛」を求め続ける人生だったように拓郎さんは思っている。人間と人間が織りなすドラマは本当に不可解。自分とは全く無関係であるはずの自分とは無縁なはずの「周囲」という環境。自分を含む空気感の中からいとも簡単に勝手な作り話とかが横行してしまう。実に厄介な道のりだった。拓郎さんは自分の運命を恨んだりもしたし、どうしても避けては通れない道も目の前にあった。自分に正直であろうという事を貫くしかない。当時の拓郎さんが抑え切る事が出来ないような熱い男だったが為にそういう事が生まれてしまった。多くの敵が生まれてしまって、多くの戦いに立たされてしまった。当時、拓郎さんを叩いた人達は、そんな事があったのか?というくらい記憶に無い事。そして第三者が輪をかけてネットを含めて色々な事を言い始める。憶測が憶測を呼んで噂話がどんどん広がっていく。現在、拓郎さんは本当の愛、平和な環境を得る事が出来ているのかもしれない。佳代さんと出会えた。残りの時間を有意義に過ごしたい。明るい楽しいエンディングを作らなければ。

4曲目「アウトロ」

Kinki Kids と拓郎さんのタッグを、あと721億回見たいという書き込み。もしかしたら、あと1回なのかな? フジテレビと話が進んでいるという話から、剛さんのパンナコッタの話、光一さんからメールが来る話等、Kinki Kidsの話。三人は歳の差だとか、キャリアとか、生きる道の違いとか、そんな事は何も関係無い。一人の人間として出会った3人。言葉が意味を持たなくなる位、3人が会う事は素敵な瞬間といった話。

11:00 佳代さん

5曲目。堂本剛がアレンジしてエレキギターで参加している。ハーモニーで参加しているのは吉岡悠歩さん。「ひとりgo to」

「たえこMY LOVE」という曲の主人公は実在のモデルがいて、70年代の中頃、柳田ヒロと付き合っている時期があって、ヒロは典型的なプレイボーイでモテモテ男。柳田ヒロがある夜連れてきた一人の女性がいて、ファッション、口調がその時代の最先端を行っている雰囲気を醸し出している女性で頭も良かった。ただ、この女性は拓郎さん達には言いたくないエピソードを沢山持っていたらしくて、話したくないエピソードを心の中に仕舞っているらしくて、若くて美しい女性だけれども、何処かに潜んでいる暗い、マイナスなイメージが、時々匂う人。おそらく24~25歳なのに、もう世の中にウンザリしている、如何にも70年代女性という感じ。その後、その女性とは何のサインも無いまま、ふわっと会えなくなった。ただ来なくなった、不思議なイメージを残したまま居なくなった。あの「たえこMY LOVE」から月日が流れて2021年の夏に原宿の表参道を見ていると、あの頃、雨に濡れながら3人で、表参道を走った思い出がフラッシュバックしてきて、あの曲の完結編を作ろうと思って作った曲。リズム&ブルース。6曲目「雨の中で歌った」

「雪さよなら」。ハーモニーが、あちこちから絶賛されている。小田和正さんと拓郎さん。拓郎さんが小田和正さんのような歌い方をしている、3回。ウィスパーボイス。拓郎さんもいつになく優しい歌い方。泉谷チャリティーというコンサートが2~3回。国立競技場でのコンサート。オフコースと2曲、ジョイントでやった辺りから小田さんと最接近するようになった。音楽の方向性は必ずも一致していないのだが、そういうところに向かう情熱、マインドはお互いに共鳴しあうものがお互いにある。現在、一番貴重なスペシャルな時間はスイーツ会。小田和正さんとの素敵なコラボレーション。7曲目「雪さよなら」。

昔、ケネディー大統領が暗殺された後に就任演説の後ろからTogether… というコーラスをつけた歌がレコードになって発売されたが、ケネディー大統領は手を取り合って新しい時代、新世界を切り開いて行こうと、演説を行ったと思うのだが、この詩の内容を抜き出してコーラスと一緒になった曲が発売された。拓郎さんはケネディー大統領の暗殺によって、甘い青春のような淡い憧れを持っていたアメリカへの気持ちが大きく後退していくという、アメリカに付いてのマイナスイメージが強く記憶に残っている。そういう時にケネディー大統領が言った「Together」という言葉を上手く使って歌にしてしまう、曲にしてしまうという発想がポップな軽いアイデアがアメリカの良いところだとも当時、拓郎さんは思った。今回のアルバムで若い人達から協力を得て、拓郎さんは心から感謝の気持ちを表していきたいと今後も思っていて、このアルバムに参加された小田さん、Kinki Kids、篠原さん、奈緒さんを登場させた曲を作ってみたいと考えた。現在、トーキングブルースという形で曲を作る人は拓郎さんしかいない。何故か日本人はトーキングブルースをやらなくなった。「Together」では拓郎さんがエレキギターを2本弾いている。どの音が拓郎さんが弾いているギターなのか当てるのは難しいかな?拓郎さんのギターは60年代のリズム&ブルースが基礎になっているので、フレーズを聞けば如何にもあの頃のアメリカンな感じだと解る人はいるかもしれない。争い事はいけない、争いの無い世界、地球環境も含めて、この地球は危ういのでは?というメッセージ。みんなで「Together」で仲良く暮らせる場所、そういう地球であって欲しいという思いを込めて。8曲目「Together」。

音楽は人の心にちゃっかりいつの間にか入り込んで来ては悪さをする事が気がする。音楽は素敵でチャーミングなものだが、怖い、危険な一面を音楽は持っているような気がする。これが時々人生に影響を与える事が無いとも言い切れない。たかが歌、たかが音楽、されど歌、されど音楽。今回のアルバムでは全編を通じて一人の人間がそれなりに誠実に、しかし時にもろく、時に危うく生きてきた道を表現してきた。人生は1回限りでやり直しとかリテイクとかは出来ない。彼は彼なりに必死で生きてきた。事ある毎に彼は強気な発言をして周囲は気にしない、周りが何を言おうと俺の知った事では無い、独特の意地っ張りなところを示していた。でも、そんな事が普通に考えて一人の人間がずっと意地を張り通して出来る人間がこの世に存在する訳がない。断じて、そんな強い人間がこの世にいる訳がない。誰だって皆んな弱くて、脆くて、危うくて、独りぼっちで、そういう生き物では無いのだろうか?人間は。彼は意地っ張りだったが陰では泣いた事もあったはずだし、強がっていたが、そうではなくて裏では一人で悩んでいた事もあったのでは無いだろうか?やっぱり愛してもらいたいという気持ちが強かったと思う。この曲の内容はライナーノーツを読みながら貴方のご家族とかを思いながら、拓郎さん夫婦のような似たような境遇の方がいたら、お母さんの事などを思いながら、聴いて欲しいとの事。アルバム最後の曲「ah-面白かった」。

ah-面白かった(アナログ盤) [Analog]


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吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD(20220408)メモ

今回は新アルバムについてのお話が主だった。

メモ

リスナーからのお誕生日のメッセージ

曲「いくつになっても happy birthday」


いくつになってもhappy birthday


サッカー 三笘薫選手の話題~。中継したニッポン放送は偉かったという話。

拓郎さんのブログに「いいね」を押すところが無いという話。

拓郎さんのブログのお話。

 Kinki Kidsのお話。Kinki Kidsと久しぶりに会った。最初は緊張するかもしれないという気分で行ったが、会った瞬間から光一君とも剛君ともくだけまくりだった。何年も前のあの時の儘だった。一言で言うと3人共成長していない。「拓郎さんの中で僕なんて17歳なんでしょう?」(光一)。そうすると拓郎さんは50歳?

 小田和正さんのお話。前回のスイーツ会が3年前?拓郎さんと小田さんとの関係は変わっていない事が確認出来た。小田さんはフォーライフについての番組について「最後の拓郎さんのメールの言葉だけが良かった。他は興味無い」との事。拓郎さんが小田さんのコンサートスケジュールが決まったら、こっそりと行くという話。

 拓郎さんと佳代さんのお話。30年以上パートナーとしてやってきている。拓郎さんはリーズナブルな価格の安いものを大量に買うタイプ。佳代さんは1枚のTシャツを決めるのに非常に時間のかかる、30分くらい考えたり迷ったりして買い物を止めるタイプ。そして隣に高級品だけを扱っているブテックを見つけて、高級品については即決する。

 新アルバム情報。アルバムタイトルは「ah-面白かった」。このタイトルに辿り着いた経緯は佳代さんのお母様、若くしてシングルマザーとして佳代さんを育てた。拓郎さんのお母様も訳があって別居生活となり一人で3人を大学に行かせてくれたりした。2人のお母様はどちらかというと苦労話や愚痴等をあまり口にしないようなタイプだった気がする。だから2人は母親から苦労話というのをあまり耳にした事が無い。2人のお母様は天国に旅立ち、本当にご苦労様でしたと心の中で感謝しながら、事あるごとに2人の母親の思い出話等をしては笑顔になれる日常というのを今でも送っている。佳代さんが以前出演したドラマ、宮藤官九郎さんが脚本を書いた「ごめんね青春!」で主人公の母親を演じた。この母親がドラマの中で突然他界するのだが、この時にご主人役の風間杜夫さんを前にして病室で一言だけ口にした言葉が「ああ、面白かった」という一言を呟いた。後日、風間杜夫さん演じるご主人がこの時を述懐するシーンがあって、これを思い出しながら「楽しかったとかじゃ無いんだよ。ああ、面白かったって言ったんだよ」と涙を流す。拓郎さんと佳代さんの2人の母親の事を頭に浮かべて、2人の母親共、口に出して言えないような苦労が時代的にもあったはず。拓郎さんのお母様の頃は女性が仕事に就くという環境が整っていない事もあり佳代さんのお母様についてもそれに近い事があったと思う。それでも、この2人のお母様達は拓郎さん達に辛いとかキツイとかというニュアンスの言葉をなるべく伝えなかっただろうと思う。2人のお母様は天国で「ああ、面白かった」と笑っているような気がしてきた。拓郎さんは今になってお母様達が言葉ではなくて、残して行った空気、風の中にお母様達の「愛(LOVE)」があるのではないか?その「愛」がやっと見えるようになってきた。そういう現在を送ってきているような気がしてきた。拓郎さんは全編を拓郎さん流の「愛」で貫いてみたい。そういう決意でアルバムを創ろうと決心した。この「ah-面白かった」という言葉が頭の中にある限り、とてもスラスラと詩が浮かんできて、面白く無い詩、面白く無い事も結果的には最後に「ah-面白かった」と言えるような、Happyな気分になれるような詩が沢山書けたような気がしている。発売日は2022年6月29日。DVDサイズのケース。9曲。disk2はメイキング映像、インタビュー。 

曲「雨の中で歌った」。「たえこMY LOVE」の主人公は、たえこさんという人では無いが、歌いやすかったから、「たえこMY LOVE」。主人公は実在の女性で「雨の中で歌った」のストーリーに話としては繋がっていくという拓郎さんの思い出の話。

 「君のスピードで」、「I’m In Love」、「季節の花」、「早送りのビデオ」、「昨日の雲じゃない」、「慕情」等を歌って、Youtube等に載せるなら、トライしてもらいたいとの事。70年代頃の曲は卒業してほしい。せめて80年代くらいにして、そこから前に進んで欲しい。空気というのを読んで欲しい。現在という瞬間はどういう時なのか?自分はどういう風の中、どういう風なスタンス、立ち位置で立っているのか?というのを考えないと。友人や最も大事な家庭とか家族も含めて、そういう中で自分は現在、どういうポジションにいるのかどうか?事。それが例えば孤独であっても、それを自分できっちりと理解する事によって、実は次が見えてくるのは間違いない。世間体とか噂話とか、そういうものは関係無い。信じられるのは自分のハートなのだから。自分に正直だったりする事、正直だったが為に踏み間違ってしまった道。誰も憎んだり恨んだりしていない。浅はかだったのは自分だから。自分が浅はかだったから、そういう結果になったという事を書いてみた。このラジオだって、「もう、いいよ」という雰囲気を感じたらリタイアする覚悟は何時でも出来ている。「今日までそして明日から」や岡本おさみの作品は良い作品だが、充分楽しんだし、充分評価もされた。「祭りのあと」は名曲だったが、でも、「だった」という事。半歩でいいから前に進もう。そこに停滞しない。それはライブ活動をリタイアしようとする決意にもなった、見ていて解った、停滞している。それが風の便りに伝わってきた。そこで何時も歌えないという事が拓郎さんの中で生まれた。そういうのを感じた時にリタイアしようということが決意として固まってきた。時間が無いから、そういうところに居たくない。拓郎さんは拓郎さんだけに解っているという未来を自分の中に作って、それに向かっている。フォークソングとか70年代は素晴らしい時代だった。それを体験したから現在がある。でも、やっぱり単なる通過点である。人生とは1回だけ。もっと柔軟に、もっと柔らかく、その時の風の具合を読みながら風に吹かれたりしながら、その時々だけの空気とか風を感じながら、少し明るい、少し楽しい明日を見る為に今日一日を頑張る、過ごすという生き方をしようと。残り時間が少ないからこそ、縛られたままで何も変わらないでいいという生き方はやりたくない。半歩前に進んでいる。

 曲「Together」。月に住んでいる篠原ともえ。火星に住んでいる奈緒に「たくろうチャン」が話しかける。地球はボロボロで色々なところで争い事も起こるし温暖化とか自然破壊がすごいスピードで進んでいるしコロナという未体験の恐怖に慄く日常生活になってストレスが沢山溜まって、明日、そちらで、小田和正を連れて美味しいスイーツ会をやりたいから明日の便で行くから。篠原のところは争い事とか無いんだろう?待っていてよ。Kinki Kidsと楽しい写真を撮りたいから奈緒のところに明日の便で行くから待っていて、というトーキングブルース。「たくろうチャン」がそちらに行くという曲。

 曲「雪さよなら」。エレック時代のお話。「青春の詩」というアルバムに「今日までそして明日から」そして「雪」という曲。レコーディングに不満があったが、拓郎さんは好きな曲で自信作だと思って過ごしているが、「雪」は、CBSソニーで猫というグループが出た時に、この曲を歌ってもらってヒットした。雪の夜の岩手県の一夜のエピソードがテーマとなっている実話。先日、拓郎さんのただ1人の同年代の親友、盟友、心友である小田和正さんが、この曲にボーカルとして参加していただけるという事になって、曲を渡したら小田さんがアイデアを入れてデモテープを戻してくれて、小田さんらしくて、この「雪」という曲のロマンテックなイメージをかなり盛り上げてくれている。この「雪」という曲は今回、小田和正さんと一緒にやれた事によって生涯の一作になっている、このコラボは歴史的なコラボになったと拓郎さんは思っている。70年代から現在まで拓郎さんが交友しているのは小田さんだけで他は現在は交友関係は無い。曲名は「雪さよなら」と変えて、歌詞の内容も最後に付け加えたりして、少しロマンテックをもっと煽って作った。

 Kinki Kidsの2人の優しさを拓郎さん程体験している人はそんなにはいないと思うとの事。無言のうちに出来上がった空気、独特の空気感が3人の中にある。これは変わらずに存在しているような気がした。この空気感は計算して作れるものでは無いし全ては偶然だと思う。この空気感は、この3人でないと出来ない。運命とか偶然が生み出した独特の空気感がこの三人の中で生まれて、この3人でしか作り出せなかった風。光一君は20代の頃と違う雰囲気が現れていた。アルバムのタイトルはマジックで光一君が書いた。光一君はイラストも描いた。ラストアルバムのタイトルを堂本光一が書いただけで拓郎さんは幸せ。素敵な題字。「ひとり GOTO」、詩を書いて剛君に見せたら、この詩の一部分に非常に強く惹かれて、この部分を曲の一番最初に持っていくというアイデアを入れて拓郎さんを驚かせた。剛君は拓郎さんの影響でファンク・ミュージックやリズム&ブルースの影響を受けた。だが、剛君の音楽はジャンルに収まっていなくなって堂本剛ミュージックという感じになっている。曲「ひとり GOTO」アレンジは堂本剛。今の風、2022年。

 広島の大学生時代、拓郎さんはロックバンドでの毎日に明け暮れていて、夜遅い日常で深夜に帰宅すると、どんなに夜遅く帰ってきても玄関の外の街灯がつけられているのを拓郎さんは忘れた事は無い。拓郎さんのお母様は毎晩、帰りを待って起きていたのかもしれないし寝ていたのかもしれないが、街灯がついていた。お母様は夜中に拓郎さんと顔を合わせるという事はしなかった。そういうお母様のやり方が拓郎さんは好きだったし気持ち良かったし逆にそういうお母様だったからこそ信じる事が出来た。佳代さんもシングルマザーとして娘を育てながら、出来るだけ、この一人娘に辛い思いをさせたく無いという思いがあったのかもしれない。不自由な気持ちを感じさせたく無いという気持ちがあったのかもしれない。自分を犠牲にしても佳代さんを育てるという色々な苦心をされたのだと思う。佳代さん親子はお互い気性が激しいのか?よく喧嘩をしていた。逗子の頃も。この親子喧嘩は仲が良すぎる事から始まっている。この2人の愛情は他の誰にも理解出来ないくらい、あまりにも深い、深いところで繋がっているから、些細な事で諍いが起きてしまうと拓郎さんは外から見ていて感じていた。佳代さんのお母様の運命の日に佳代さんは、本当に少しだけ間に合わなかった。その時のお母様の表情は穏やかだった。シングルマザーで佳代さんを育て上げたという中には苦しみとか悲しみとかキツイ体験が色々とあったのだろうが、実に静かで穏やかな笑顔にも似たような旅立ちの表情をされていた。佳代さんのお母様の生き方にケセラセラというのがある。このお母様の生き方の基本は、「ケセラセラ、成るように成る」のような気がする。2人のお母様は辛い事、悲しい事もあったのだろうが、笑顔を見せるように永遠の場所に旅立っていった。拓郎さん夫婦も同じ道を歩いていく事にきっと何時かなる。その時にやっぱり「ah-面白かった」と言えるような、そんな人生を送りたい。実はとても難しい事だと思う、人間が最期に「ah-面白かった」と言うのは。だが、其処を目指すだけでも良いのでは?と思う。アルバムのラストを飾る運命の1曲。「ah-面白かった」。色々な人達の事が浮かんだ。ありのままで。

ah-面白かった [CD+DVD]

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「You Know I’m No Good」Amy Winehouse


You Know I’m No Good (Live At Porchester Hall / 2007)


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吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD (2022.3.11)メモ

今回は311の時の話とフォーライフ設立の時の話があった。フォーライフについては拓郎さんから、その時の真実について聞けて良かった。


detente(紙ジャケット仕様)


メモ

「Together」のお話。エレック時代の「やせっぽちのブルース」のお話なのだが拓郎さんが演奏しているのは「たくろうチャン」。「Together」はブルースコード。「Together」の歌詞の中に Kinki Kidsのお二人と小田和正さんと篠原ともえさんと奈緒さんが実名で登場する。「たくろうチャン」という曲から50年以上経って、地球という星に長居し過ぎたので、そろそろお暇したいという曲。あちらの星では篠原さんとか奈緒さんとかがいて争い事とか無い国で幸せに楽しく暮らしているというニュースが入って来て、それじゃあ、たくろうチャンもそろそろ帰らなきゃ、という感じの歌。来週あたりにチケットを買って、小田和正さんや Kinki Kidsを連れて行くからねというトーキングブルース。

「僕の独り言」Kinki Kids の剛君のアレンジ。レコーディングは都内。拓郎さんはリモートで参加。

リスナーからのメールから。311のお話。311の頃、拓郎さんがチャリティーのコンサートを行っていた。夜10時からラジオ福島で放送が始まった時に流れた「春を待つ手紙」。当時、拓郎さんは弾き語りで「春を待つ手紙」を歌った。この曲を弾き語りで歌うのは生涯初めてだったとの事。


春を待つ手紙


311の頃、拓郎さんは坂崎幸之助さんとラジオ番組をやっていて、リスナーと一緒にハワイに行こう、という企画が決まっていて、しかも3月11日に成田空港を出発するという予定で奥様と二人で荷造りが終わって… 午後の2時過ぎ…。そして、ハワイ行きは中止。ただ、ハワイの事よりも、あの時、原発の事とか改めて突きつけられた。人類はそういう危険な事と一緒に暮らしながら、平和というバランスを保っているという事が解ったという瞬間だった。あれから11年。【黙祷】

アルバムは限りなく完成に近付いている。来月、発売日を発表?こういう社会状況だからこそ、クオリティーが高い。今だから出来る。

1曲目。争い事はいけない。武器を捨ててもらいたい。地球に住んでいる我々は愛を目指すべきなのではないか?愛を目指すべきだというメッセージ。昔、高杉晋作という若者がいて、多分、心の中で、こう呟いていたのではないか? 《俺たちは争い事はいかんよ。武器を捨てて、地球に住んでいる俺たちは愛を目指そうよ。》と心の中に呟いていたような気がして高杉晋作という役を演じながら拓郎さんの思いで、この曲を書いた。これを今、聴いてもらいたい「RONIN」。


幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬 [DVD]


リスナーからのメール「ごめんね青春」佳代さんについてのお話。運命は一寸先は解らない。「マンハッタンラブストーリー」のお話。

コーヒーをたしなめない人生。コーヒーの香りは好きだが飲めない。コーヒーの歌は岡本おさみは沢山作っていたが歌っている拓郎さんはコーヒーの世界を知らなかった。

2曲目。珍しい曲。「LIVE 2019」のボーカルコーラスチームのメンバーと楽しく演奏した。あの名古屋ライブは拓郎さんにとって宝物になっている。その彼らと演奏した。ツーコーラス目から緩い。可愛い良い曲。フルコーラス「僕のあたらしい歌」


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3月は懐かしい男達のエピソード。南こうせつさんの話。こうせつさんは雨男。南こうせつさんがイベントをやろうとすると必ず嵐が来たり雨が降ったりする。ゲストに呼ぶと雨になるのでアウトドアの野外コンサートでこうせつを呼ばない方が良いという業界のジンクスがある。福岡のサマーピクニックに拓郎さんが一度だけゲスト出演した時、前日の晩まで地元は大雨で中止も考えていたらしいが、ところが拓郎さんは晴れ男(こうせつさんとは真逆)で拓郎さんが行くと晴れる。晴れ男と雨男では気が合わない。拓郎さんがサマーピクニックに参加するという事で現地に入った瞬間に晴れ間が青空が広がって完璧に天気が回復した。「つま恋」も、こうせつさんがいると雨が降るという事で懸念されたが、拓郎さんがいたので晴れた。《拓郎さんは晴れ、こうせつさんは雨》

泉谷しげる。70年代初期、エレックレコードで一緒にいた事がある。エレックの泉谷しげるのデビューコンサートで、泉谷が客席に向かって《客だと思って偉そうにするんじゃない!》とアジテーション。当時、業界は《お客様は神様です》が定着しているこの時期に芸能社会に対して一撃を加えている。

フォーライフ、拓郎さんと泉谷さんは同じようなハートを持っていて、小室さんや陽水さんとは合わないという事なのだが若い時は解らなくなっていた。拓郎さんと泉谷さんは、その後も個人的に付き合いが続く事になって行くのだが、拓郎さんは小室さんとは25年以上付き合いが無いし、陽水さんとも10年以上付き合いが無い。本当は気が合わないのを泉谷さんは若い時から解っていた。

フォーライフに関する番組の話。あの番組を見ていると「つま恋」とフォーライフ設立は恰も関係あるように作られているが、関係は無い。「つま恋」とフォーライフは関係無い。「つま恋」は拓郎さんと雨男の南こうせつさん。「つま恋」とフォーライフは同じ時期だったというだけで両方共絡んでいるのは拓郎さんだけ。フォーライフは若者の大いなる勘違い。フォーライフに参加した若い社員達、その家族達が一番辛い思いをしている。だから泉谷さんは自分に正直に動いて辞めた(責任を取った)。拓郎さんはあの時に辞めないように説得したが泉谷さんは《拓郎は俺にとってはダチだから拓郎が社長になっちゃうと言いにくくなって付き合いにくくなる》と嘆いていて、拓郎さんは涙を飲んで泉谷さんを送り出した。拓郎さんは川村ゆうこさんや原田真二さん等を沢山デビューさせて、会社は4人だけではない、沢山、若いアーチストをデビューさせる、それが本当は夢だったのだから。だが、誰も後輩を育てようという、そぶりも雰囲気も無い。若い人のレコーディングを見にも来ない。若い才能をフォーライフの為に探したり育てたり、そういう事をしないで、何時迄も夢のような話に酔っているのはいけない。結局、言っている事は新しい事を言っているように見えるが企画力やアイデア力やレコード業界とか芸能界とか全く付き合いも出来ないのに風呂敷ばかり大きくなって、フォークって言えばOKだみたいな話では誰も付いてこない。誰もついて来ない先輩になった事が問題。音楽は必ず伝承されるものだから、若い人がそこを見習ってくれないとという事が基本的にあるはず。だから泉谷さんが一番正しかった。その後、拓郎さんと泉谷さんとの付き合いは続いて泉谷さんの企画で普賢岳のチャリティーコンサートをやったり、武道館での日本を救えバンドを作ったりして、拓郎さんと泉谷さんは同じ釜の飯を食ったというのが残った。

高田渡さんのお話。ステージの上で寝ちゃったシンガー。これこそフォーク。これは前代未聞でその後も無いと思われる。拓郎さんと渡さんは正反対と思われているかもしれないが意外と気が合っていた。渡さんが拓郎さんにバーボンを教えた。

札幌に行きつけのバーがあって、バーのママさんが豪快で北海道女性の典型な人で、ツアーとかで新しい人が入るとママの洗礼を受けるという暗黙のルールがあって…。スチールギターの駒沢裕城さんがバンドに入った。駒沢さんは真面目な青年で移動中も必ず読書に耽る文学青年でお酒も飲まない。駒沢さんもママの洗礼を受けた。駒沢さんは事態が飲み込めないまま呆然。それから数日経って次のコンサート、九州の方に移動という事で東京駅に集合。バンドのメンバーはグリーン車の中で到着まで時間がかかるから寝ていようという雰囲気の中で駒沢さんは《今夜はどんなところで飲む予定なんですか?》と皆に話しかけていた。

3曲目。昔のツアー音源。アルバム「デタント」の頃の音源。鎌田夫妻達のバンド。拓郎さんは、その頃、マネージメントの人と折り合いが悪く、ある日、拓郎さんがエッセイ集を書こうという事で出版社を探してもらったら、その人は乗り気の出版社が見つからないという事で、後日、拓郎さんが知り合いの編集者に聞いたら、《そんな話は聴いていない》との事。それで、そのマネージャーとは別れた。そこから拓郎さんの運命が開け始めて、少しずつ Kinki Kidsとの出会いとかが始まって運命的なものが、そこから変わっていった。「たえなる時に」


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5曲目。もっと自分らしさというか、自分の道、自分にしか出来ない。人間は「個」なんだ。そういう気持ちで人間は立ったり歩いたり進んで行ったり、そうやって行きませんかね?という歌を作った。タイトルは「アウトロ」。個人的な拓郎さんの締めくくり「イントロ」に対して「アウトロ」。自分らしく生きる愛する育む消える。「アウトロ」

6曲目。「Somethin’ Stupid」恋の一言。フランク・シナトラとナンシー・シナトラのデュエット。全米ナンバーワンに輝いた曲。


Somethin' Stupid


吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD メモ (2022.2.11)

今回は「流星」の話がメインなのかな?


流星


メモ

加藤和彦さんの思い出話から~。距離があったり無かったり。仕事があると接近してくるが、仕事が無くなるといなくなる。

1曲目「純情」


純情



純情(From AL「AGAIN」)


安井かずみさんの話。拓郎さんとズズが買い物。二人は安物を沢山買うのが好き。帰ってきたら加藤和彦さんは「安物買いはダメ」と。その他、肩肘張らずに、もう少しリラックスしても良いのではという話。

「流星」の話。後で「流星」の話を。30歳が一つの壁、Don’t trust over thirty

30を過ぎる事が罪悪に感じる若者。自分の青春時代に思い描いた夢、希望、恋愛等が叶いましたか?それとも幻として消えてしまっていますか?という問いかけ。僕が欲しかったものは一体何だったんだろう?30を超えた自分のある種の老成を自覚し始めた自分が20代の頃を考え出してみようという問いかけ。コントラストも自分の人生を思い耽った事があるとしたらみんな別々で違う道だから。ネット社会といえども全て共有できないから。それぞれの道について考えてみても良い。誰にも解ってもらえない事は沢山ある。その人その人が歩いてきた道なのだからしまっておいても良いのでは。

拓郎さんの御宅では健康は食事と睡眠。

CDの音は制限されている音。

車の話。

「ごめんね青春」

昔の岩手放送の女性の話から「雪」の話。ボサノバ、拓郎さんのイメージとは違う。猫の「雪」は拓郎さんのイメージ通り。「雪」は好きな曲なのにステージで歌った記憶が無くて、セルフカバーもしていないのでラストアルバムにレコーディングしたいと思うという話。

2曲目「どうしてこんなに悲しいんだろう」

「流星」を色々な人がカヴァーしている事に気が付いて、上手い、いいなあというのが有った。「流星」を書いた時のエピソード。50:00辺り

ネットで見つけた「流星」。横田良子、何かのイベントのリハーサル風景、野外。拓郎さんはちょっとビックリした。拓郎さんは「流星」はリハ中には歌わない。「流星」は緊張した場でないと歌えない。横田さんのは大らかな感じの「流星」。

横田良子さんの「流星」(Youtube)。


流星


ハルカトミユキの「流星」


流星


フォーライフの頃だったら横田良子もハルカトミユキもフォーライフでプロデュースしていたかも、との事。

沢田聖子さんが「風になりたい」をカヴァーしているのを拓郎さんは初めて知った。

高橋真梨子さんをフォーライフに呼びたかった。水面下で交渉していた。。六本木のバーで高橋真梨子さんと会う。

沢田聖子さんの「風になりたい」


風になりたい


パンデミックの話から、地球環境の話。何かを学びながら生きていかなければ時代。

新曲のデモ「HEY ユー」

Kinki Kids、篠原、LOVE LOVE あいしてるの話、オーストラリア等

カミラカベロ「ハバナ」


Havana (Remix)

「幻の女たち」浅川マキ

1月27日は浅川マキさんのお誕生日という事で「幻の女たち」というアルバムを聴いた。

本多俊之との制作アルバム第2弾との事。

個人的には「あなたに・ カスバの女・ Shanghai」を思い出すアルバム。歌い直すとこからライブ感が伝わってくる(「あなたに」と「Shanghai」は1985.9.14 文芸座オールナイト公演実況でピアノは渋谷毅さんと記されている。)

このアルバムの「ジン・ハウス・ブルース」も良い感じ。

「放出したエナジー」のpercussionは横山達嗣さん


幻の女たち









HMV&BOOKS online

吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 2022.1.14 メモ

今回は元旦早朝に拓郎さんのスマホにメッセージして来たのは堂本光一さんという話から始まって、「LOVE LOVE あいしている」の頃の海外ロケのお話、小田和正さんが「クリスマスの約束」という番組で「流星」を歌った話。奈緒さんのお話、ラストアルバムについてのお話「Contrast」のお話 等。

お母様との約束のお話

拓郎さんお母様の信念は《常に自分に正直でいよう》。

拓郎さんのお母様は

《もし、皆とは違うと思う事があったとしても、でも、自分はこういう風にしか出来ない、皆のようには出来ない》と思う時が必ず来るから、そういう時は出来ない事は出来ないから《自分の心に嘘をつかないで》そういう気持ちを大事にしなさい。《出来ない事も出来ると言って仲良くする必要は無い》《出来ない事は出来ない》と自分に言い聞かせなさい。それで仲良く出来ないんだったら、自分はそういう人間だと思うしかない。でも自分に正直でいなさい

といった感じの事を仰っていて、これが後に拓郎さんの大きな支えとなったとの事。

拓郎さんの歌の中にある人生観、生き方、在り方はお母様からの影響だという事が伝わってくる感じがした。

さらに「流星」の中の《正直だった悲しさ》についての意味も伝わってくる感じがした。

拓郎さんは《自分に嘘をつかない》という生き方を結果的にはするようになったと仰っていた。

また、拓郎さんは、それを《母と心を通じ合った約束》と仰っていた。

拓郎さんがお母様についてのお話をされる時に真実が伝わってくる感じがした。

時代は変わる

奈緒さんの番組を聴いて拓郎さんのレギュラー番組を知ったリスナーの話から、何でも自分中心で考えがちという話に。拓郎さんの番組から奈緒さんを知った、そうじゃなくて、奈緒さんの番組を聴いて、拓郎さんの番組を聴く、それが時代という話〜「LOVE LOVE」の話〜裸の王様の話〜Kinki Kidsでさえ40歳を過ぎた〜拓郎さんは70代〜20代の奈緒さんが拓郎さんの曲について話している〜25年前から進んで、もっと若い世代の人の力を借りてアルバム制作に励んでいる〜拓郎さんが奈緒さんをプッシュしているという事ではなくて奈緒さんのプッシュで拓郎さんが頑張っているというエピソードという話に〜これが「時代が変わる」という事〜ボブ・ディランの「時代は変わる」の話に

「春だったね」(2005年のツアーの時の)


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「Pillow」


Pillow


「Contrast」のデモ音源

「5月の風」(拓郎さんが作詞した曲)


希少盤 8cmCD吉田拓郎&加藤和彦 [純情 c/w 5月の風] テレビ東京12時間ドラマ織田信長主題歌TOOT-3161 1993年CD発売 東芝EMI盤


イエスタデイ・ワンス・モア (カーペンターズ)


イエスタデイ・ワンス・モア


吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD(メモ)2021.12.17

KinKi Kids、篠原ともえについてのお話と飯田久彦さんについてのお話が聞けてよかった。

メモ

一年を振り返るような話。人間の非力さを思い知らされた1年。同時にまだまだ色々な事を考えたり、工夫したり、学んだり、勉強したり、そうしなきゃいけない事が山程あるという事に気が付く事が沢山在った。この星、地球に甘え過ぎていたような気がする。文明、進化で傲り高ぶり。自分の中には驕り高ぶりが見えてきた。反省すべきところは反省し正すべき事は正し、その上で希望の明日、明るい明日を迎えるべくして、穏やかな自分と穏やかな社会を描いて生きていけるような。半歩で良いから、前に進んで行こうじゃないかという気分を新たにしている、というお話。


AGAIN


ラストアルバムの話。

今日のオープニングの1曲。60年代にオールアメリカになろうじゃないかという思いが込められている歌。現在、この曲を聴くと心が熱くなって、熱いものが出てくる。心の中にこういうものを持ちたい。今、この時代でも、この曲。折角、この世に生を受け一度きりの人生というのを全世界で皆んなで送っているわけだから、この曲。ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。


この素晴らしき世界(SHM-CD)


「両国橋」は70年代中頃、東映の映画でデビューした松平純子さん。詩は誰が書いたか考えず曲を付けていた。詩は当時の喜多条 忠らしい、面白い設計(そこで恋をするのは良くない)。アレンジは「LIVE ’73」のステージの時のジャズサックス奏者の村岡 建さん。村岡さんのブラスアレンジが「LIVE’73」でも完璧にファンクな感じ、ソウルな感じを醸し出している。その村岡さんが「両国橋」をアレンジした。ところが当時はまだブラス・ロックという日本ではなく、松平純子さんが歌う曲は、どちらかというと一般的に言う歌謡曲という感じ。ところが村岡さんがブラス・ロックのアレンジをしたので、カッコイイが時代的に誰にも解ってもらえない、先端を行く歌謡曲になってしまっている。今、聴くと、この時代にこれは凄いアレンジ。曲も拓郎さんは気に入っている。たぶん、拓郎さんと喜多条さんの処女作。曲「両国橋」

(由紀さおりさんの「両国橋」はカヴァー)


両国橋


菅田将暉さんの話。遠い存在でも無いような何かのご縁があるような。。ニッポン放送で「ラジオでナイト」と菅田将暉さんのオールナイトニッポンの共同記者会見があった。拓郎さんの第一印象は素敵な若者。その後で「LOVE LOVE あいしてる」の時に菅田さんがお父さんを連れて来た。女優の奈緒さんのお母さんが拓郎さんに関心があって、その影響で奈緒さんの応援歌は「今日までそして明日から」。親達の息子や娘と知り合う事になって人生は不思議の連続。

小田和正さんのお話。

新曲のデモ音源の話。曲名は「雨の中で歌った」。アメリカの50年代、60年代のソウルミュージックをルーツにして曲を作った。拓郎さんは広島のアマチュア時代には、この感じの曲をよく演奏していた。若いという事に理由は無い。若い時は理由なんて考えないで行動している。そう言えば若い時に意味の無い行動だけれども一緒に走ったりしたよね?という事を思い出して、雨の中、一人であの日の事を思い出している。

自分でも信じられないくらい言葉とメロディーが浮かんでくる、パソコンに向かうとアレンジのアイデアが浮かんでくるという話。

今月は「ショルダーバッグの秘密」という曲のデモテープ(音源はネットに載せないようにとの事)。どういう曲かというと…. という話。カッコいいロックンロール。曲「ショルダーバッグの秘密」

ラストアルバムの話から。

KinKi Kidsのお話。拓郎さんはKinKi Kidsと出会ったのは50歳。その頃、拓郎さんはお酒を飲む時に、あまり食べなかったのだが、焼肉屋でKinKi Kidsの二人が拓郎さんのお皿に焼肉をのせてくれた「たべなはれ、あきまへんがな」。あの行動に拓郎さんの心は完璧にダウンした。10代の若者に心を揺さぶられた、焼肉屋で。しかも焼肉で。KinKi Kidsの素直な行動に拓郎さんは心を打たれた。堂本剛さんについては10代なのに周りに対して目が届いている、いつもさりげなく気を利かせるという行動が拓郎さんの目に印象的に映っていたとの事。また、堂本剛さんについて作詞の世界に入ってみると面白いかもしれないと拓郎さんは思っていたとの事。

11:00、佳代さんの声

光一さんは社交性があった。剛さんは輪の中に入って来なくて、少し側にいて、距離感を大事にしていた。光一さんは意外な感じで美形だが行動的で男らしい。光一は自然にいようとする感じ。激しさを持っている。

拓郎さんは50歳でKinKi Kidsと知り合った瞬間から、人生がもう一度、別の扉を開けてくれたと思っている、あの二人と出会っていなかったら、というのは想像するのが怖いくらい、との事。

曲「全部だきしめて」(KinKi Kids)


全部だきしめて


奈緒さんのお話から女優さんのお話。拓郎さんと長い付き合いの某有名男優が「女優というのは一つの生き物で、世の中には男と女と、もう一つ、女優という生き物が存在する、女優というのは独特の世界観を持っている」と言っていたとの事。女優さんは独特の自分なりのポジションを持っていて、これが強烈なインパクトを感じる事がある。撮影現場は過酷なところで女優さんは逞しくてタフとの事。奈緒さんは忙しい女優さん…。奈緒さんのイメージをこの曲で表現すると

「Billie Jean」(マイケル・ジャクソン)


ビリー・ジーン


篠原ともえさんのお話。「LOVE LOVE あいしてる」の時のお話。カメラの前ではシノラーというのを演じているんだけれども頭の回転が早くて目的に向かって進む時に実に賢い方法を篠原さんなりに選んでいるというのが段々、見えてきた、との事。今は篠原ともえはデザイナーとして独り立ちして活躍中。「LOVE LOVE あいしてる」の頃のハワイでの思い出の事を篠原さんが詞にした曲。

曲「僕が大好きな場所」


僕の大好きな場所(From AL「AGAIN」)


拓郎さんがフォーライフレコード退社後、拓郎さんの全音楽人生をサポートされたプロデューサーの飯田久彦さんのお話。フォーライフレコードに見切りを付けた時に飯田さんがビクターを退社してテイチクインペリアルの社長になるというニュースがあった。飯田久彦さんは拓郎さんが広島の頃にテレビで見ていた人気歌手でデル・シャノンの「悲しき街角」を日本語でカヴァーしてヒットさせていた。飯田久彦さんがレコード会社の社長になるという話を聞いて拓郎さんは連絡してみたくなった(拓郎さんもフォーライフになった事がある)。拓郎さんと飯田さんがお話しているうちに、飯田さんが人気歌手だった頃の雰囲気が残っていると拓郎さんが感じ、インペリアルに入社。飯田さんがエイベックスに移った時に拓郎さんも移籍した。飯田さんは昔、チャコと呼ばれていて、チャコと一緒に音楽人生を全うしようと拓郎さんは考えたと思う、との事。

曲「悲しき街角」(飯田久彦)


飯田久彦 ゴールデン☆ベスト


北欧のスウェーデンに古くから伝わる言い伝えで「常に未来に備えるべし、そして、備えというのは己を簡素にする事である。」というお話。

曲「天使のささやき」(スリー・ディグリーズ)


スリー・ディグリーズ ベスト DQCP-1514

吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD(メモ)2021.11.12

始まりが「チークを踊ろう」だった。この曲は私も好きな曲。拓郎さんの曲はポップな感じというのは私が若い頃思っていた事。今回も拓郎さんのルーツを思い出す回。拓郎さんがワイルドワンズが好きだという事は初めて知った。さだまさしさんについては以前から聞いた事はあるが、詳しく聞くのは初めて。

メモ

「チークを踊ろう」


何故、かけたかというと聴きたくなった。ポップな曲、フォークではない、新しいポップス(当時)
実はエレキギターはあまり使っていない
拓郎さんの音楽の基本形はフォーク系の事をやりつつも、ポップス、リズム&ブルース、ポピュラーミュージック
「伽草子」の「からっ風のブルース」はファンキーな曲だが和製フォークから入ってきた人には通じなかった
日本の70年代の和製フォークから入って来た人に、もっと他の音楽を聴いてほしかった
音楽は弾き語りもやるし、リズム&ブルースもやるし、ファンキーな曲もやるのが良い
「チークを踊ろう」が拓郎さんの音楽の原点


チークを踊ろう

イントロ、アウトロ

最近のポップスはイントロ、アウトロがさっぱりしていて、それも時代の流行り
拓郎さんはイントロ、間奏、アウトロに手を掛けていた。バンドのセッションを楽しむ

沢田研二さんの事。拓郎さんとはメル友

谷山小学校の話。宮崎先生

生きている現在が大事


拓郎さん曰く、あちらに旅立った後は、吉田拓郎記念館とかは作らせないし、追悼番組もやらせない
中国文化賞が嬉しかった

拓郎さんはマンションの理事をされているとの事。色々な事に気づく時間

「今日までそして明日から」

 この時代でも生きている事実について感激の気持ちが隠せない
 この曲を作らせた何か?があるかというと無い
 天が書かせた曲
 ラジオでフルにかけた記憶が無い
2014年ライブの「今日までそして明日から」


吉田拓郎 LIVE 2014 (Blu-ray Disc+CD2枚組) (初回限定盤)

拓郎さんが影響を受けた音楽の話等

70年代に拓郎さんが出て来て日本の音楽シーンが変わって来たと言われている。LPで勝負する時代。テレビで1曲ではなくて、少なくとも、5〜6曲。歌の世界を理解してもらう時代。コンサートツアーも拓郎さんが初めてやった事になっている。だが、拓郎さんも先輩からの影響を受けていた。

60年代〜。広島で大学生の頃、ザ・フォーク・クルセダーズ。加藤和彦の先見の明、音楽センス
「悲しくてやりきれない」


悲しくてやりきれない

(23:00 佳代さんが加湿器の話)

拓郎さんは、はしだのりひこを評価している。はしだのりひこは色々なグループを作ってヒットを飛ばしていた。

「風」シューベルツ
「花嫁」クライマックス





花嫁

60年代、ビートルズの影響でグループサウンズ。拓郎さんが好きなのはザ・ワイルドワンズ。「思い出の渚」は歴史の残る名曲


想い出の渚

音楽というのは伝承されていくもの

拓郎さんは、さだまさしのアルバムは聴いた事は無いが評価していて、若い人もおそらく影響を受けている、さだまさしは才能があるとの事

雲仙普賢岳(泉谷しげる主催)の時の話

「雨宿り」


雨やどり

すぎやまこういち作曲の「学生街の喫茶店」


学生街の喫茶店

ラストアルバムの話

デモテープがラジオで流れるが、Youtubeに載せるなとの事

「煙が目にしみる」プラターズ


煙が目にしみる



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中山ラビ情報(2021.10.13)

2021年7月4日に逝去された中山ラビさんのアルバム11タイトルが2021年10月13日にリマスターされていた。中山ラビさんは「女ボブ・ディラン」と呼ばれていた。曲の感じもボブ・ディランからの影響が感じられる。












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iTunesストア、Amazon Music等の mp3 でも GET出来るようだ。


ひらひら


吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 2021.10.8 メモ

今回は、リスナーさんの「つま恋」についてのメールから始まって、70年代のお話、《拓郎さんが聞き直してみたい曲》、Bob Dylanについてのお話。拓郎さんがボブ・ディランの「セルフ・ポートレイト」を絶賛していた事は良く知られている事だと思うが改めて聞けて良かった。

メモ

リスナーからのメール

1975年当時「つま恋」のイベントへの参加は学校で禁止されていて、友達が利用しようとしたバス乗り場に生活指導の先生が来ていて連れ戻された。
県内の高校では禁止されていた
篠島の時は一人で行った。
後悔はしないように出来る事はやる

70年代は若者文化が変化していく時代、世界中の文化がものすごいスピードで変化していく時代で、その流れはスピード感があって、若者と古い価値観を持った大人との闘いがあったが、この流れは誰にも止められなかった。

ラストアルバム等の作業の話。武部さん、鳥山さんとデータのやり取りをして作業をしている。

最後の「LOVE LOVE あいしてる」という話が出てきている。

曲「僕たちのラプソディ」


僕達のラプソディ

拓郎さんのラストアルバムの話

全てこの世でOK。

今を頑張って生きている、それだけ。

現在が大事。

現在の時間が最高でなければいけない。

エンディングというのが実は未来に向かって歩き始めているという意味を持っている。

終活とかでは無い。同窓会的なものはメインでは無い。新しい事に挑戦。

季節の果物の話

拓郎さんと佳代さんがシャインマスカットが好きだという話から佳代さんのハードスケジュールの話。

聞き直してみたい曲

松本隆さんの話から、神田広美さんの「ドンファン」を作り終わった後に原宿のプレイバッハで食事をした時の話、「舞姫」の話から、お店にいたチャーミングな女の子の話になったので、今日の曲は「舞姫」かと思ったら「この歌をある人」だった。

曲「この歌をある人に」


この歌をある人に

11:00 佳代さんのコーナー

「たえこMY LOVE」のエピソード

70年代初頭に柳田ヒロに紹介してもらった女の子がいなくなった話。
けだるい雰囲気の女の子
白けた感じ
白けた時代
お互いに干渉しない
石川鷹彦さんの新鮮なアレンジ

曲「たえこMY LOVE」


たえこ My Love[EPレコード 7inch]



たえこMY LOVE

ボブ・ディランの話

拓郎さんが高校の頃、アメリカンポップス全盛の中からメッセージ色が強い曲、人生、社会の風景を歌っている声が聞こえてきた。それは流行っている訳ではなかったが若者達の支持を受けていたが、まだ大ヒットには至らない。

プレスリーのロックン・ロールは反体制、反大人、大人達への反抗を歌っていたが、社会、政治へのメッセージは感じなかった。

ボブ・ディランは社会へのメッセージをギターを弾きながらハーモニカを吹きながらシンプルに歌う。

当時、広島ではボブ・ディランのレコードは入手出来なくて、岩国のFENで聞いていた。

スリーフィンガー。ボブ・ディランは実はギターが上手い。

曲「Don’t Think Twice, It’s All Right」(邦題は「くよくよするなよ!」)


Don’t Think Twice, It’s All Right

拓郎さんが広島にいる頃は、ボブ・ディランについては、それ程ファンではなく、拓郎さんはフォークについては知らないし、それ程、興味も無かった。拓郎さんはリズム&ブルースに興味があった。

東京に出てきた後の話。東京のフォークソングの事情。

ボブ・ディランのレコードはCBSソニーから発売されていて、「セルフ・ポートレイト」というアルバムに拓郎さんは寄稿文を書いた。拓郎さん曰く、ボブ・ディランは素晴らしいソングライターでメロディーやコード進行、作曲家としての素晴らしい才能を感じているとの事。

「ブルー・ムーン」


ブルー・ムーン

拓郎さんは東京に来てからボブ・ディランから離れていった。ボブ・ディランは理解するには難しくて、宗教的な感じにも聞こえる。1975年の「血の轍」からボブ・ディランは遠くに行ってしまった。

ボブ・ディランは何も変わらない。拓郎さんはボブ・ディランに新しいアメリカン・ポップスを求めていたが、それは間違った解釈だったかもしれないとの事。

ボブ・ディランはポピュラー性のあるシンガーでエリック・クラプトンも「Love Minus Zero/No Limit」をカヴァーしている。

曲「Love Minus Zero/No Limit」


ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット

観音崎マリンスタジオの話

観音崎マリンスタジオと、みなとみらいのランドマークスタジオが拓郎さんのお気に入り

ラストの曲はポリスの「EVERY BREATH YOU TAKE」。拓郎さんが大好きな曲との事。


見つめていたい








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